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サンドリッチ監督『コンチネンタル』、『フレッド・アステアのすべて』 一ノ瀬 俊也『戦艦大和講義』

2015/10/22(木)
すこしゆっくりした夕方。いま、うちのマンションが15年経って大修繕。巣箱にずっといるみたい。戦争中か、あるいはw

フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャースの初主役共演映画、マーク・サンドリッチ『コンチネンタル』(原題: The Gay Divorcee、1934年、107分、RKOスタジオ)を観る。『トップ・ハット』と同じぐらいに面白かった。当時の離婚の仕方とかいまいちよくわからなかったが、まあ、ストーリーとかはまあどうでもいいぐらいに、群舞とかダンスがすごくってそれでよくって。

製作 パンドロ・S・バーマン
出演者 フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース、アリス・ブラディ、ベティ・グレイブル
音楽 コン・コンラッド、マックス・スタイナー
<本作は公開後スタジオの予想を上回るヒット作となり、アステアとロジャースは「マネー・メイキング・スターズ」(金の稼げるスター)と謳われた。以後『ロバータ』(1935年)、『トップ・ハット』(1935年)、『艦隊を追って』(1936年)、『有頂天時代』(1936年)、『踊らん哉』(1937年)、『気儘時代』(1938年)、『カッスル夫妻』(1939年)と7年の間に9作がこのコンビで製作された。>

そのあと、ドキュメンタリー映像『フレッド・アステアのすべて』(96分、1980年)も観た。60歳代後半まで、テレビ番組で踊っていて、さすがにかっちょいい・・・

昨日に続いて、ダンス映画という領域。ミュージカル映画の近くにあって、やはり独自なんだろうなとフレッド・アステアの映画を観て思う。
映画の中のダンスといえば、『雨に唄えば』『巴里のアメリカ人』のジーン・ケリーしかしらなかったが、戦後になればMGMに移ったアステアがその先輩になるわけね。

http://www.ytdp.com/columns/columns_227.php
<・・・これらの9枚も、もちろん見ごたえたっぷりですが、私が最もオススメしたいのは最後の1枚、「フレッド・アステアのすべて」という1980年に作られたTVドキュメンタリー93分で、DVD日本新発売というすぐれものです。
 デビュー作からTVショーに至るまで、ベストのダンス・ナンバーをずらりと並べ、今となっては「伝説の巨人」となった人たちが解説をしてくれます。アステアのかつてのパートナーであったジンジャ-・ロジャース、ジーン・ケリー、アステア映画の振付師ハーメス・パン、そしてダンス界からはルドルフ・ヌレエフ、ジェローム・ロビンス、ボブ・フォッシ、タップダンサーではチャールズ・ホニ・コールズなどなど。残念ながらMGM作品は版権の関係で1940年代以降はスチール写真のみですが、RKO・パラマウント・コロムビア映画の映像はバッチリおさえています。>

キャリア開発演習。103名。
来週ミニテスト。今日は憲法をすこし眺めつつ、労働基本法、労働基準監督署へ。『ダンダリン』を少々。

一ノ瀬 俊也『戦艦大和講義―私たちにとって太平洋戦争とは何か』(人文書院、2015年)を読んだ。いろいろ興味深く、しかも未知なことも多かった。特に、戦後の大和ものがたり・・・3回ゼミ生が戦艦大和研究を続けてくれることをいまは祈るのみw
p323
<…近代日本の歴史上、戦艦は繰り返し擬人化されてきました。日本人は鎮遠や三笠などの戦艦を、護国の神か何かのように見なしてきたのです。思えば、江戸時代からの伝統である妖怪の類を除き、近代の日本で戦艦ほど擬人化された人工物が他にあったでしょうか。
< この意味で戦艦は日本人にとって特別な存在であり、今でもそうです。戦前の戦艦―鎮遠や三笠は外国との戦争を戦いましたが、戦後の戦艦―大和は科学技術の神として、あるいは平和を謳歌する過程で「なかったこと」にされたのに怒り攻めてくる戦死者の化身(怪獣ヤマトン)として、後には自ら戦死者の霊を倒す戦神(艦娘大和)となるという変身を経つつ、繰り返し想起されてきました。
< 戦艦の擬人化とは、その護国の神としての威徳を仰ぐための行為であり、1013年のゲーム「艦隊これくしょん」の美少女大和も、この歴史的伝統をなぞった類似品にすぎません。>

メモしたい部分は他にもあるが、以下、書評などをチェックし、一つ引用:
<[評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)  [掲載]2015年06月07日  
■欲と運命背負い、今も飛び立つ
 海に沈んだ大和が宇宙戦艦ヤマトになって、人類を救う。子供のとき、この奇妙なアニメに没頭し、大人になって、これは敗戦した日本の精神を満足させる壮大なSF偽史だったのではないかと考えるようになった。本書を手にとったのも、「宇宙戦艦ヤマト」の分析が含まれていたからである。が、その内容は単なるサブカルチャー批評ではない。著者は日本近代を専門とする歴史学者として、近代以降、そもそも日本にとって戦艦は何だったかを縦横無尽に論じる。
 第1部は、黒船のトラウマを受けて、精神的な巨艦主義に向かう時代背景を軸に、大和から日本の近代史を読みとき、第2部は、戦後の映画、アニメ、漫画、小説などで繰り返し登場した大和のイメージから日本人の欲望の在処(ありか)を探る。大和は、科学、美など、さまざまな「神」に祀(まつ)りあげられた。そして第3部は、バブル期以降の現代を扱い、アメリカに勝利する仮想戦記、もうひとつの消費ネタである零戦の物語、戦艦が少女に擬人化されたゲーム・アニメの「艦隊これくしょん」などを扱う。
 明治時代から軍艦が擬人化されていたこと、「宇宙戦艦ヤマト」以前の1960年代にすでに大和が空を飛ぶ漫画が存在していたことなど、興味深いエピソードは尽きない。また、「さらば宇宙戦艦ヤマト」で特攻を成就したのに、これを改変し、続編ができるよう死なない「宇宙戦艦ヤマト2」を制作した金儲(かねもう)け主義に日本の姿を重ねあわせる。
 本書で一貫しているのは、戦争への批判的な視点だろう。第1部では、日本軍が暗澹(あんたん)とするような戦略を遂行し、大和が近代日本の背負った悲しい運命を象徴したことを論じる。また第2部では、大和のキャラ化を通じて、死んだ乗組員の存在が消されたことを指摘した。そして著者は、戦死者がわれわれをどう見るかをつきつける。>


by kogure613 | 2015-10-22 21:58 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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