第41回京都山科義士まつり 山科こども歌舞伎公演@東部文化会館

2015/12/14(月)
9時半に毘沙門堂の階段を登る。ちょうど、第41回京都山科義士まつりの開始、諸注意。なりきってくださいと実行委員長。
山科区長も上下を着てずっと一緒にパレードするのか。舞台でも連判状改の役者にもなっていた。京都市長は大丸前から東部文化会館まで。去年は日曜日だったこともあってすべて歩いたという。
もう一つの歩きやすい階段からまず大石内蔵助とその息子大石主税、瑤泉院(阿久里)と矢頭右衛門七が本隊に先立ち、瑞光院へお参りに出てくる。結構あっけない。ゼミ生たちもかなりやってくる。本体が降りていく。カメラを写す見物人たち。


安朱保育園でも勝どき。その前や後にも小学生や幼稚園児などが見物する。祝日でないので、逆に子供たちが集まりやすい。ラクトでの休憩のときに記念撮影なども。あと、東映太秦の人たちがけっこう一緒に歩いていて化粧を直したりもしていた。

寺西幼稚園児たちは、義士になっている園児のほか、太鼓を叩く園児も並ぶ(東部文化会館で披露。途中は園のバスで移動)。そうそう、山科女性の舞踊団も大石音頭や祇園の花祭りの踊り?を東部文化会館や最後の大石神社に披露するために随行する。

東部文化会館は、義士の人たちや東映の役者たちによる寸劇のところまでは満席。立ち見をあった。13時からの山科こども歌舞伎公演になると、見物の人たちは移動することになることもあり、すこしゆったりとするが、寺西幼稚園児の口上は、すでにひとつのパフォーマンスとなっていて、ずいぶんと凝っている。仮名手本忠臣蔵の三段目の一部を寺西幼稚園児、そのあとの4段目の切腹を山科こども歌舞伎塾で演じる。後者では、台詞がずいぶんとなめらかになったなあと感心する。会話劇部分はどうしても忠臣蔵熟知の観客以外はすこし伝わりにくいかも知れないが。

中高年の日本人見物客に混じって、ラテンアメリカ的な二人、台湾から来たという5人組など。結構マニアックなところまで、国際化が進んでいる。
台湾の人たちと一人旅の韓国人は最後まで一緒、山科急行バスでもすこし話す(韓国の男性は日本語が達者だった)。

ラクト大丸のところまで前に一度見物したけれど、今年は、最初からずっとゴールまで見物できた(歌舞伎塾の公演まで見たのでタクシーを利用したが)。大石神社の前に岩屋寺にいくが、ここが隠れ家跡であると伝承されているので、13時から講談があったりしていたようで、西野山地区の人たちは格別の思いでまつりにあたっていることが分かる。


<12月14日、岩屋寺。大石内蔵助が討ち入り前の一年四ヶ月間を過ごした閑居跡という当寺には、内蔵助の鎖じゅばんや茶道具などが残されていて、本堂の四十七士木像が公開される。法要に続いて御詠歌奉納や、義士達の供養が行われる。行列は14時過ぎ頃に到着。甘酒の無料接待もある。四十七士木像の拝観は有料。京阪バス/大石神社。問合せ先:岩屋寺075-581-4052。見学自由。>
忠臣蔵、四十七士練り歩く 内蔵助隠せいの京都・山科 : 京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20151214000125


<赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした14日、大石内蔵助ゆかりの京都市山科区で「山科義士まつり」が開かれた。四十七士らに扮(ふん)した住民約120人が、勇壮な姿でまちを練り歩いた。
 山科は、内蔵助が赤穂城を退去後に江戸へ討ち入るまで隠せいした地と伝わる。41回目の今年は、百々学区の山本剛久さん(45)が内蔵助役を務めた。
 午前10時、一行は毘沙門堂を出発。婦人列や子ども義士隊とともに大石神社を目指し、約5・5キロを歩いた。道中で四十七士が「エイエイオー」と刀を掲げて勝ちどきを上げると、沿道の観客から大きな拍手が起こった。
 市東部文化会館では「山科こども歌舞伎」も開かれ、地元の幼稚園児や児童が忠臣蔵の世界を再現していた。【 2015年12月14日 22時10分 】>


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by kogure613 | 2015-12-14 22:43 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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