ブルーエゴナク(北九州市)『AGAIN/やりなおし』アトリエ劇研
2015年 12月 27日
とくに、各地(ブルーエゴナクは北九州市拠点:日田市とか福岡市とかの役者も集まっているようだ)の演劇水準の高さを知ることもできて、とても嬉しく、京都がそのハブになりうればと思ってうきうき帰った。半分は仕事が当分ない開放感もあったがw
< 一番最初の最初、AGAINという呪文は、演劇家としての自分にかけられるべき言葉として思いつきました。まだ全然演劇のことなんて分かっていないのだけどそんな自分でもかっこいいとかっこわるいの区別をするし、面白いと面白くないの区別をするし、信用出来ると信用出来ないの区別をします。でもその感覚(sense)ごと今までの自分を見直してやりなおそうと、最初の一歩のように作ろうと思ったのが「AGAIN/やりなおし」のはじまりです。
だからといって僕の話は出てきません、そういう意味ではなく例えばそうやって自分の中で無/意識に選ばれたというか浮かび上がったともいえるその単語を信じて作品を作ろうと思ったという事です。againという響きだけが筆を動かしているような稽古場に響いているような、そんな状況です。だからつまり''やりなおし演劇’’も危ういところです。意味としてのやりなおしは今回の創作条件の中ではあまり目立たないところにいます。やりなおし、の意味ではなく字面や語感だけをモチーフとして借りているような、 そんな状況です。なんとか伝わっていますでしょうか。
ところで僕は音楽を聴きます。音楽を聴くことは気持ちのいいことだと僕は感じているのですが、そういう演劇が作りたいと最近すごく考えるようになりました。音から考えてみる、役者さんの発する台詞のビート感を考えてみる、それがまず自分にとって気持ちいいのかを稽古場でひたすら聴いています。気持ちのいい音(無音)、台詞(間)ができてしまえば、あとはそれに必然性のある、もしくはまるでないビジュアルやシナリオを後付けする。でもいいんじゃないかと。うん、そこまでは割り切れてませんが。
あとは観ていただきたい、その後にちょっと考えたりしてもらいたい。泣けるパーカッションや痺れるギターのフレーズに勝るとも劣らない俳優の、演劇の、人間の、愛す/憎むべき一瞬について。>