山田うん『バイト』ArtTheatre dB Kobe クリント・イーストウッド『センチメンタル・アドベンチャー』
2016年 06月 26日
2016/6/26(日)
新長田へ。
ダンスボックス・ソロダンス・シリーズ、山田うん『バイト』ArtTheatre dB Kobe。
15:06~16:05。当日パンフに載っている、イェフダ・アミハイというイスラエルの詩人の詩を観ている。「でも 疑問と愛は/世界を掘りおこす」「向かい風と追い風。熱愛と冷ややかな愛」「友の顔のうえに雨が降る」・・・
まずは、衣装に震える。BALMUNGという人、グループ?フリフリ。お人形。
そして、前面の照明:宮向隆。腹話術、会話の不成立と成立のあいだ。舞踏のような表情の歪み。
サウンド・リミックスは山田うん(音響:江澤千香子)。
舞台美術:大津英輔+鴉屋。斜めに吊るされた金属。照明で道のような影を作る。雲を引き連れたお嬢さん。極小の雲なのか、彼女が巨大なのか。
20分のあとに照らされ動く。地震ではない。
2つ目のセッション。今度は顔の下半分が隠された衣装。下手奥の紙はマジックね。「閉店」という習字。じょうろで踊る。すこしずつ字が消える。
3つ目、ラストは踊る踊る。それまでの抑制からの開放。ロックダンスっていうのもちょっとあったような。リミックスね。音とダンスが合っていたり独立したりも自由自在。
自由な中での構成、構成し過ぎないようにするための斜め的脱力。
<カンパニーや個人の活動において現在もっともアクティブな展開を国内外にて見せる振付家《山田うん》を招聘し、前作『ディクテ』から5年ぶりの新作ソロ長編作品/世界初演を委嘱します。今回の新作『バイト』はヘブライ語の“家”を意味し、『ディクテ』の創作中に出会ったイスラエルの詩が起点となっています。“身体”と“思考”、“貴方”と“私”、“母国”と“異国”といったものの境界に立ち、不確実なものをかかえながら、それらが共存する地平を探り重ねる《山田うん》の新作にご期待ください。神戸のみの独占公演です。(2016年5月現在)>
<前作『ディクテ』は、韓国系アメリカ人女性アーティスト、テレサ・ハッキョン・チャ(1951-1982)による自伝的文学作品『ディクテ』(1982)から着想し、ダンス、ドローイング、多言語の台詞を通して、母語(故郷)を喪失した身体へと変容していくテクストの中の人物と、山田うん本人とを重層的に往来するソロダンス作品でした。今回の新作『バイト』はヘブライ語の“家”を意味し、『ディクテ』の創作中に出会ったイスラエルの詩が起点となっています。“身体”と“思考”、“貴方”と“私”、“母国”と“異国”といったものの境界に立ち、不確実なものをかかえながら、それらが共存する地平を探り重ねる《山田うん》の新作にご期待ください。神戸のみの独占公演です(2016年4月現在)。>
帰り、はじめて、さいたまトリエンナーレっていうのを知る。結構有名ドコロ。
帰って録画していた映画を見る。ナッシュビル、カントリーソング。いや、ブルース的でもあったかな。
クリント・イーストウッド『センチメンタル・アドベンチャー』(1982年、122分)クリント・イーストウッド、カイル・イーストウッド
東野圭吾『秘密』(1998年)を文春文庫(2001年)で読み終える。よく出来た作品。直木賞受賞は、これよりもだいぶ後の『容疑者Xの献身』(2006年)でだったという。
東野圭吾さんは、1958年、大阪市生野区生まれ。会社勤めから。高校時代に松本清張を読んだとウィキペディアにはある。
平野啓一郎『空白を満たしなさい』と同じようなサスペンスだが、もちろん、平野さんはいろいろなスタイルを試す人なので、東野圭吾さんのようにミステリのプロとはどこか違うのだろう。
たまたま、平野啓一郎『高瀬川』(講談社,2003年)を次にかばんに入れて読みだす。「清水」(1999年)は芥川龍之介の独り言のような「私」の妄想的京都市内。清水のしたたり、散ってしまう太陽。鳩の死骸。またそこを通ると手巾(てぎれ)がかぶさっている・・
「高瀬川」(2003年)も京都市内の特定の場所、平野啓一郎自身ととても近い主人公の微細な情事。描写がでも解剖学的で、表情の話しとか、昨日今日と観ている演劇やダンスとどうしてもシンクロするような不思議な感覚に満ちている。
by kogure613
| 2016-06-26 21:17
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