タルコフスキー『ローラーとバイオリン』『僕の村は戦場だった』/『グローリアス』/柳家さん喬『笠碁』/春風亭昇太『権助魚』
2017年 12月 30日
2017/12/30(土)
今年度で閉館する京都みなみ座へ。東寺もちょっと見学。
まあ、閉館するということで行くのも何なのだが、やはり、お世話になったしねえ。チケット自動販売機が使われなくなっていて隅に置いてあった。館長(たぶん)さんに次はどこですか?と聞いたら、まだ決まっていないけど来年には決めたいとのこと。聞かなかったらよかった。実は、このあと、東福寺まで歩いて、新しく、立誠シネマのかわりにできた出町座に寄ろうと思ったが、あまりに、アンドレイ・タルコフスキーの映画が良かったし、ずしっと来たのでそのまま帰る。
タルコフスキー『ローラーとバイオリン』1960年、46分、カラー。
映画館で自分の気持ちがざわざわしてしまうのはどうしてだろう。哀しい部分もあるが、子供は死なないし、友情というテーマや、リンゴで初恋失敗とかなかなかに可愛いものなのに・・・一つには音圧が自分には強すぎたということはある。スピーカーがちょうと当たるところだったかも知れないが。
<当時VGIK(全ソヴィエト連邦映画大学)の学生だった28歳のタルコフスキーの卒業制作としてつくられたタルコフスキーの事実上の処女作。ニューヨーク国際学生映画コンクール第一位。>
<撮影はこの作品で一本立ちし、その後『僕の村は戦場だった』、『アンドレイ・ルブリョフ』、『惑星ソラリス』とタルコフスキー監督とのコンビで世界的な名作を生んでいるカメラマン、ワジーム・ユーソフ。>
続いて、『僕の村は戦場だった』1962年、94分、モノクローム。僕の目にはちょうちょだけ黄色に見えたのだが錯覚だったか。ローラーを運転する労働者とは違い、大人の戦士が見せる、ずるさ(まあ思いやりはあるのだが)も垣間見られる。看護士の女性兵士にまとわりつく白樺の林のシーンの無理やりキスとかいたたまれない気持ちに扠せられる。
この映画は見たかも知れないと思っていたが、名前だけ有名で未見だった。ソ連の少年もナチスの少年もどちらにも戦争は過酷である。いやあってはならない。アラブで戦闘訓練する少年の映像を見たりするときに覚える絶望感がそこにはある。しかし美しい映像、水の多様な使用。特に井戸。
<独ソ戦によって両親を失った12才の少年イワンが、憎しみに身を焦がしながら、かたくなに偵察行動に参加し、その幼い命を落とす物語を、少年の記憶に残る平和な日々を辿る詩情豊かで美しい回想シーンと、少年が命を犠牲にせざるを得なかった厳しい現実のリアルな描写のコントラストで描いていく。戦争によって歪められた少年の心に暖い眼差を向けながら、戦争の犠牲となった幼い命の尊厳が静かに謳いあげられる。また、戦闘シーンよりもむしろ戦闘の合間の静寂を描いて戦争の悲惨を映して、少年の悲劇と人々が争うことの虚しさをうかびあがらせる。
独ソ戦をテーマにしながら、映像の美しさとそこにまだあどけない少年を登場させるなど、同じテーマの他の作品には見られない構成の瑞々しさが、世界各地で大きな感動と反響を呼び起こした。>
帰って録画していた番組を見る。
まずは、楽しい喜劇、『グローリアス』。篠井英介さん最高にいい。でも、共演の二人もなかなかなもの。
作:ピーター・キルター
翻訳:芦沢みどり
演出:鈴木勝秀
出演:篠井英介 水田航生 彩吹真央
<オンチと称されながらもソプラノ歌手になる夢を諦めないフローレンスは、コズメというピアニストに出会う。 最初は渋々レッスンを引き受けるコズメだったが、レッスンを重ねるにつれて、彼女の活気溢れる歌声の魅力に気付き始める。時にバッシングを受けながらも、音楽を信じ邁進する二人にある時、音楽の殿堂と呼ばれるカーネギーホールからオファーが入って――。歌うことに生涯を捧げたマダム・フローレンスの笑いあり、涙ありの物語。>
落語は静と動の対比になった。どちらもいいが、柳家さん喬さんのお婆さんが秀逸すぎる。無音が多い。
柳家さん喬『笠碁』。https://www.youtube.com/watch?v=pOHpXkVfHbI
http://kakiokoshi.hatenablog.com/entry/2017/01/18/223636
春風亭昇太『権助魚』。http://urx.blue/HO0X