エドワード・ヤン『台北ストーリー』&橋浦方人『星空のマリオネット』@シネ・ヌーヴォ

2018/8/1(水)

1625分からの映画を見に、大阪地下鉄九条駅へ。久しぶりのシネ・ヌーヴォだったので、出口を間違い、こんなに狭い商店街だったかと思いつつすこしさまよった。九条OSを探しに行ったとき遠たことを思い出し、引き換えして信号を渡る。

橋浦方人『星空のマリオネット』1978年、99分、配給:ATG

お母さん(馬渕晴子)が無くなる直前に川を見たいといったので、死体をバイクに乗せて、川面に突ける主人公ヒデオ(三浦洋一)。北関東だなあと思って見出すと茨城ナンバー、最後の方で、古河市がロケ地で、川も利根川かと思ったら渡良瀬川。

お父さん役は牟田悌三さんで、優しいけれどどこか社会のなかで逃げている感じがうまく描かれている。そして、後半思わぬ展開に・・

まだ、ゲイあるいはトランスゲンダーへの認知も進んでいなかっただろうから、アケミの態度も普通のことだっただろうし、そのあと親しくなっていくところとか、暗い話なのに、心がヒリヒリすることもなく見ていられる。でも、いつでも後半、エンディングになりそうな感じがして、どう終わるのか、ちょっと読めなかった。終わってみるとまあそうだったのだと後付できるが。

<暴走族からぬけでた若者が理由もなく自死していく姿を描いた、喜多唯志の同名小説の映画化。脚本は「青年の樹(1977)」の大和屋竺と、「青春散歌 置けない日々」の橋浦方人、監督も同作の橋浦方人、撮影は奥村祐治がそれぞれ担当。>

<東京近郊の町で暴走族のリーダーをしているヒデオは、廃抗で別の暴走族のリーダーを殴った。数日後、鉄工所で働いていたヒデオは殴ったリーダーの暴走族から呼び出され、大けがをする。そんなヒデオに、医者の息子でシンナーに犯されたヒロシは好意を寄せていた。退院はしたものの、仲間達に相手にされないヒデオは奔放に生きるアケミに出会う。三人の楽しい生活は続いた。しかし、アケミが妊娠していることを話すとヒデオは狂ったように彼女に殴りかかった。入水自殺したヒロシのため寂しさを感じていたヒデオは、父・留造とアケミと三人で暮らすことを思いたつ。そして、妻をなくした父にアケミを与えるのだった。いつしか、子供を産もうとするアケミは、留造と一緒に暮らす約束をかわしていた。・・・>

ヒデオ 三浦洋一

アケミ 亜湖

ヒロシ 武井一仁

石森留造 牟田悌三

石森鋭子 馬渕晴子

キイ子 山科ゆり

鈴木とし子 絵沢萠子

(参考)https://ameblo.jp/runupgo/entry-10530044326.html

<母が川で死んだとか、冒頭の廃坑で自分の家を訪ねるとかいった事象が生きていないのも気になった。伏線を引いたようで、まったく機能していないところが多すぎるのだ。

 映画の舞台は茨城県の古河市。撮影されている川は渡良瀬川である。最後に三浦がクラッシュする鉄橋が印象的だが、茨城くささはあまりない。もっと、方言とかで印象づけてもいいと思う。ただ、その川のある湿気や臭いはつたわってくる。また、まだまだ未開発のこの地の風景も貴重な記録だろう。映画館で「大奥浮世風呂」がかかっているが、この映画館もたぶん今はないだろう。

 80年前後の映画にはこのような不完全燃焼の映画が多々ある。しかし、最近の「優しい映画群」よりもまだ、臭いを持っている点では存在感がある。リアルな世の中が臭いがしないと映画もそうなるということか・・・。>

先に観た日本映画が意外とよかった。あわてて松屋。

1825から、エドワード・ヤン作品のなかで一度も見ていなかった映画を鑑賞する。

邦題が『台北ストーリー』なので、『東京物語』をどうしても意識する。これは、もちろん了承ずみなのだろう。原題は幼馴染という二人の主役の関係が四文字熟語になっている(青梅竹馬、なかなかにきれい)。

他の作品との比較がどうもできないが、画面が変わる寸前の会話が、半分だけで、次にどういう反応の言葉が返るのかと思っていると次に行く。

クールでハードボイルド的な印象がつよいエドワード・ヤン監督。だが、心理の襞に触れそうになったり(もちろん内面の語りとかはなく、想像でいろいろ補う必要があるのは変わらず)、ホウ・シャオシェン的な湿潤なところも随所にあり、二人の感性が融合している映画なんだろうと思いつつ、でも、もっとスピーディーに行ってほしいなと思いつつ、ふと意識が途切れた瞬間が2,3回あった。

両監督(この映画では主演・脚本・製作)とも1947年生まれなので、30歳代後半ということになる。アリョンはアメリカから帰ってアメリカに戻るというので、何かバブリーな今どきビジネスをしているのかと思ったら、昔の生地屋を父から継いでいて、どうも1980年代の台北のスピードある時代変化に乗り遅れている。もっと取り残されている少年野球の仲間もいるし、彼女(幼馴染)アジンは遣り手のビジネスパーソン。男に生まれたらよかったのにと言われたりする。アジンは父親に虐待を受け、絶交している。アジンの父に親切なのはアリョンのみ。

アジンは不倫関係をかつての同僚(設計士ぽい)と持ちつつ、アリョンとも一緒にいる。後半、アジンが結婚しようとも言うが、アリョンは踏み出せていない。東京でやはり幼馴染で日本人(小林)と結婚した女性と1週間を過ごしている。離婚が成立しているとは言え、少し前まで人妻だった女性なので、ダブル三角関係で不倫ぽいという感じ。でも、アジンは表に出して怒るが、アリョンは、少年野球ではすごかったことを誂われるところで怒る。

怒ると人が変わる。アジンを待ち伏せする青年への態度もそうだったな。

エドワード・ヤン『台北ストーリー』原題:青梅竹馬、1985年、119分。

脚本 エドワード・ヤン、チュー・ティエンウェン、ホウ・シャオシェン

製作 ホウ・シャオシェン

アジン(阿貞):ツァイ・チン(蔡琴)

アリョン(阿隆):ホウ・シャオシェン(侯孝賢)

アキン(阿欽):ウー・ニェンツェン(呉念眞)

シャオ・クー(小柯):クー・イーチェン(柯一正)

音楽 ヨーヨー・マ

<ホウ・シャオシェンは家を抵当に入れて出資し、なおかつ主演も行ったが、台湾公開時は人気がなくわずか数日で打ち切られたという。ロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞した他、各国の映画祭で好評を得た。ヒロインを演じ主題歌を歌ったツァイ・チンは、本作出演の後エドワード・ヤン監督と結婚している。>

http://www.uplink.co.jp/movie/2017/49832

<台北市内のガランとしたマンションの空き家を訪れる男女二人。女は、ステレオをあそこに、テレビはここに、と夢を膨らませている。男は気のない様子でバッティングの素振りのフォームをしながら「内装に金がかかりそうだ」、「わたし、今度昇進するから大丈夫」。

女はアジン。不動産ディベロッパーで働くキャリアウーマンだ。男はアリョン。少年時代はリトルリーグのエースとして将来を嘱望されていたが、いまは家業を継ぎ、廸化街で布地問屋を営んでいる。二人は幼なじみ。過去にはそれぞれいろいろとあったようだが、なんとなく付き合いが続いている。

順調に思えたアジンの人生だったが、突然勤めていた会社が買収され解雇されてしまう。>

< 主演は、これが俳優として唯一の主演作となるホウ・シャオシェンと、この後エドワード・ヤンと結婚することになる台湾の人気シンガー、ツァイ・チン(『恐怖分子』の主題歌を歌っているのも彼女である)。ほか、『光陰的故事』でエドワード・ヤンらと共に監督を務めたクー・イーチェン、『恋恋風塵』『悲情城市』などの脚本でも知られるウー・ニェンチェンなど、自分の信頼できる仲間だけで固める、というエドワード・ヤンの意思がはっきりと表れたキャスティング。まさに「台湾ニューシネマの最も幸せな瞬間」に誕生した奇跡の一本と言えるだろう。>

<そして、この映画のもう一人の主役といえばもちろん、80年代なかば、日に日に変貌を遂げつつあるアジアの大都市、台北。「『台北ストーリー』の主人公2人は、それぞれ台北の過去と未来を表している。過去から未来への移行というのがテーマだ」(エドワード・ヤン)。また、四方田犬彦も自著『台湾の歓び』(岩波書店・刊)の中でこう語っている「楊徳昌(エドワード・ヤン)はあるときわたしに、この作品は滅びゆこうとする廸化街へのオマージュなのだと語った・・・。これは重厚な記憶とノスタルジアに満ちたフィルムである」(本書114頁)。事実、日本人にも馴染み深い廸化街の歴史的な問屋街のたたずまいが、ガラス張りの無機質な高層ビルや、大通りの車両の混沌とした動きなどを捉えたカットと平行して、不意に闖入してくる。そして白眉は、< 富士FILM>の大看板の強烈なネオンの放射を受けて黒いシルエットへと還元されてしまうカップルの姿、またはイルミネーションに彩られた夜の街をバイクで爆走する若者たちの、その疾走感。現実の都市なのにあまりに映画的な、エドワード・ヤンにしか捉えられない台北の息吹が、ここにある。>

(参考) https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/1404afb620b1298f9e5c69cce0bb270b

<料理を持ってきた、渡辺直美を半分ぐらいスリムにしたような小姐に「台北ストーリー」のチラシを見せたら、「映画見てきたの? 私まだ見てない。主役の蔡琴(ツァイ・チン)は台湾でとても人気あるよ」と言った。

 「中国語の原題は「青梅竹馬」だけど、どういう意味?」と訊いてみた。

 彼女が「幼馴染み」と答えたので、「日本でも、竹馬の友という言葉があるから「竹馬」はわかるけど、「青梅」はどういう意味?」と重ねて訊いた。

 彼女は、「甘酸っぱい……」と言って、「う~ん、少し難しい」と考えた。そして、スマホを開いて何やら打ち込んでいたが、すぐに「李白、知ってる?」と言うので、「うん、李白や杜甫は日本でも有名だよ。高校の漢文で習うしね」と答えると、「「青梅竹馬」は李白の詩から来ている。ほら、ここ」と言って、スマホの画面を見せた。

 そこには、中国語の字が並んでいた。李白の「長干行」という詩だ。

 そして、彼女は付け加えた。「ただ、「青梅」は男と女の間にしか使わない」と。>

(参考)http://nohouz.blog.fc2.com/blog-entry-851.html

<開始早々、中央に映し出されたなんということはないサッシの窓の陰影がすでにエドワード・ヤン印。

部屋をまたいだカメラアングルにも「らしさ」が溢れています。

空き部屋を下見するアジン(ツァイ・チン)とアリョン(ホウ・シャオシェン)は新婚夫婦か同棲生活を始めようとしている恋人同士のようにみえますが、非常に微妙な関係。

本作は80年代における台湾の置かれた状況や空気感を登場人物たちに投影しつつ描かれるラブストーリーです。

ロスにいる義兄を頼って食品輸入業を始めようとしているアリョンは少年時代はリトルリーグのエースとして活躍した経験があり、どうやら野球をしていた過去が彼を苦しめているようなのですが、たかがリトルリーグで味わった栄光になぜそこまでアリョンが囚われているのかよくわかりませんでした。

公式Facebookによると、台湾の少年野球で活躍することは「WBCと甲子園を足して二で割ったくらいの意味がある」んだそうで、プロの野球選手になるのを断念したほどの重い挫折なのです。終盤で登場するニュース映像は実際のもの。

不動産会社に勤めるアジンは有能な自立する女性の象徴のような存在ですが、既婚者のボスと微妙な関係でもあり、クールな出で立ちとは裏腹な依存体質の傾向が伺え、心に空洞を持っているような弱さが見受けられます。

彼女がサングラスをかけているのは自分の弱さを他人に悟られないためではないでしょうか。

会社が買収されて職を失ったことで、アジンはさらに自分の居場所を不安定にします。

ガラス張りの渡り廊下(?)の幾何学的な構図には『恐怖分子』のワンシーンと共通する美しさがあります。

だらしないアジンの父親と、耐えるばかりの母親。無軌道なアジンの妹とその友だちが世代による生き方の違いを浮き彫りにさせます。

鬱屈した現状をリセットするための脱出先としてアメリカや日本が想定され、アジンの幼馴染みであり、アリョンの元彼女でもある日本人と結婚した女性の存在が(この元カノがはっとするような美人)アジンとアリョンが抱える焦燥感を際立たせます。

富士フイルムのネオンをバックにしたカットが美しくも印象的です。>

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by kogure613 | 2018-08-01 22:23 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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