『アラブの音色とリズムに出逢う』メタモルホール 奥村和一・酒井誠『私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 』

2018/8/10(金)

大昔、ウードのライブを聴いたが、ハムザ・エル=ディンさんではなかったかも知れない。彼のCDをよく聴いていたので記憶が混濁している。

それにしても、目の前で、常味さんのウード演奏(11本の弦、一番上の低い弦だけが一本、あとはダブル弦)を眼の前で楽しむ。

古賀政男のようなエジプトだったかな、作曲家の曲がトリ。ゆったりのあと早いもの。

古賀政男さんがエジプトと韓国の音楽が好きだという話。

昼間、中山晋平の大衆音楽論を読んでいて、つながらないようなつながるような。

アラブの音楽は、トルコの歌とかすこし聴くがなかなか知らないことばかりで、まずはアラブのリズムに10拍子が多いというところから。これはゆったりと音楽が構成されるが、ときに早いのものある。9拍子と7拍子が面白い。楕円が転がるような面白さと常味さん。なるほど。雅楽の夜多羅拍子5拍子)を思い出す。3拍子も2拍子ももちろんある。

音階でドレミファ以外を聞かせてもらう。7音とは限らないようだが、長調でもないし短調ともちょっと違う感じが味わい深い。

トルコ料理が出ていることもあり、トルコの音楽が多かった。ウイキョウが入った薬膳酒のようなラクが美味しかった。イラク(バクダッド)やシリアのアレッポの歌もあった。しかしISって何だったのか(まだ過去形ではないかも知れないが)。

『アラブの音色とリズムに出逢う-ブルースシティ大阪ライブ #14』主催:劇団態変応援企画 メタモルホール(劇団態変アトリエ)190621時すぎまで 間に休憩。アンコールでは会場にいた女性が踊る人だったので、アラブの踊りも楽しむ。

常味裕司(弦楽器ウード)

永田 充(打楽器ダルブッカ)

PAなし。3歳の女子と2歳の男子。ジージと呼ばれる。

動き回っていた、最後まで。常味裕司さん、子供がいるので、子供がうろうろしても大丈夫と言ってもらえる。

永田 充さん、京都在住、何と、バチ・ホリックでも活動。

◇常味裕司 / Yuji Tsunemi

日本のみならず、東アジア地域におけるウード奏者のパイオニア・第一人者と称されている。スーダンのウード奏者ハムザ・エル=ディン氏のもとで演奏法を学び、89年よりチュニジアへ渡りアラブ世界を代表するウード奏者、アリ・スリティ氏に師事、本格的にアラブ音楽を学ぶ。

93年以降、チュニジア、エジプト・カイロ、レバノン・ベイルートでの現地ミュージシャンとの共演やコンサート出演多数。2010年にはシリア・アレッポにてウード奏者、ムハンマド・カドリ・ダラル氏に集中指導を受ける。2011年以降、クゥエート、オマーン、カタール、UAE、モロッコ、スペイン・アンダルシアにて演奏など音楽を通した文化・国際交流も盛んに行っている。

日本においては、アラブ・トルコ古典音楽を中心にソロ活動およびアラブ音楽アンサンブル「ファルハ」や「アラビンディア」を主宰し、様々な演奏家、舞踊家、パフォーマーと共演。2007年(4月〜12月)放送のNHKスペシャル[新シルクロード 第2部]の音楽、録音にも携わる。洗足学園音楽大学ワールドミュージックコース・ウード講師

http://www.oud.jp

◇永田充 / Mitsuru Nagata

京都を拠点に活動するパーカッション奏者。

エジプトにて現地奏者に学び、アラブの片面太鼓"ダルブッカ"演奏の国内のパイオニアとして国内外の著名ミュージシャンやベリーダンサーと数多く共演。国内のアラブ音楽やベリーダンス公演の発展に寄与している。

FUJI ROCKFESTIVAL等を始めとするステージ、NHKEテレ"おかあさんといっしょ"等のTV番組への出演など、ダルブッカの魅力を広く発信するべく多方面に活躍の場を広げている。

また、日本発のパーカッショニストとしてのアイデンティティを追求する中で和太鼓の研鑽にも長く取り組み、京都を拠点とするTaiko Rock Band “BATI-HOLIC”( http://www.bati-holic.jp/ )のメンバーとしても活動を並行。パリ(フランス)・ミラノ(イタリア)を始め国内外で公演を行うなど、両輪にて積極的に活動を展開している。

読んだ本。

映画でもそう思ったが、ひととき、奥村さんが「日本兵」に現地で戻ってしまうところがスリリング。

奥村和一・酒井誠『私は「蟻の兵隊」だった中国に残された日本兵』岩波ジュニア新書、2006年。

https://www.iwanami.co.jp/book/b269177.html

< 62年前の194411月,徴兵検査を終えた奥村さんは19歳で召集され,中国の山西省に送られました.そして,初年兵教育で軍人精神を徹底的に叩きこまれ,生涯消し去ることのできない体験をさせられます.8月15日,日本はポツダム宣言を受諾し,15年に及ぶ長い戦争に終止符が打たれました.そして,日本軍は武装解除されましたが,山西省では,閻錫山(えんしゃくざん)の策略と「天皇制護持,祖国復興」を名分に掲げた軍の命令によって2600名が残留させられ,中国共産党軍と引きつづき戦うことになります.そして,4年間に550名が戦死,700名以上が捕虜になりました.

 奥村さんは戦闘で重傷を負って捕虜となり,きびしい労働と学習の日々を送り,戦後9年たった1954年に帰国しました.ところが,待ち受けていたのは「逃亡兵」の扱いでした.軍の命令で残留したにもかかわらず,「自らの意思で残って,勝手に戦争をつづけた」と政府はいうのです.奥村さんは,その後さまざまな辛酸をなめ,業界紙記者などをつとめて,日中友好の「中国展」開催などで東奔西走します.

 そして1989年,65歳のとき1冊の本と出会い,改めて自分自身が体験した山西残留問題に取り組み始めます.図書館へ通い,史料を探し,それを文書にまとめる日々.そのなかで,当時,閻錫山と日本軍が交わしていたさまざまな電報類などを発見し,残留問題の全容がしだいに明らかになっていきます.残留させられた人びとの戦後補償を求める裁判が始まりますが,政府も裁判所も,訴えに耳を貸そうとはしません.そうしたなかで,歴史の真実を明らかにしようとする奥村さんのたたかいはつづきます.

 7月に公開される映画『蟻の兵隊』(池谷薫監督)は,こうした奥村さんの人間としてのたたかい,中国再訪で出会った人たちとの交流,裁判の取り組みなどを描き,山西残留問題に正面から斬り込んだ長編ドキュメンタリーです.この本には,その奥村さんの生い立ち,忘れることができない戦争中の体験,映画制作のなかで出会った中国の人びとへの思い,若い人たちへの伝言などが,ぎっしり詰まっています.>

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by kogure613 | 2018-08-10 21:48 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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