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桂歌丸「栗橋宿」 一龍斎貞心・講談「東玉と伯円」

2018/8/26(日)

帰って落語と講談。どちらも興味深くしみじみ。

桂歌丸「栗橋宿(くりはしじゅく)」落語研究会、1994.7

出囃子:中の舞 桂歌丸さんは新作から出発、40歳代で同世代がやらない古典に。

<「落語研究会」は19683月に創設され、今年で50周年。歌丸が「落語研究会」に初登場したのは19831226日に行われた第188回公演だった。以来、「落語研究会」高座への出演は32回を数え、同番組プロデューサーを務めていた白井良幹氏の薦めで「三遊亭円朝噺」に取り組むようになったといわれている。>

< 萩原新三郎が死んで、伴蔵(ともぞう)お峰(おみね)の夫婦は日光街道の生まれ故郷栗橋に移り住む。従兄弟(いとこ)の馬方の久蔵に頼んで一軒の家を買い、江戸荒物関口屋という店を開きます。安いと評判が立ち、店は繁盛し、6人の奉公人を置くようになる。伴蔵は贅沢でいい服を着るようになるが、お峰は木綿物で通し仕事に精を出します。

 伴蔵は馬方の久蔵を連れて栗橋宿壱の料理旅籠の笹屋へ行くと、お酌に出た品もよく、二十五六の女。帳場に聞くと、お国という女で侍の女房、夫婦で泊まった時、夫の足がたいそう痛んで、歩くことができなくなり、土手下に家を持たせ、女房がこの店で酌婦をして働き始めた。江戸に居るとき、このお国さんは隣家に住む男・宮邊源次郎とイイ仲になり、見付かって男はヤリで刺され、お国さんの亭主を殺して二人で逐電。栗橋に着いたときには足が痛んで歩け無くなった。伴蔵は金を使えば女はなびくなと思い、通い詰め、イイ仲になった。

 お峰は感づいたが、伴蔵はとぼけてしっぽを出さない。馬を引いて通りかかった久蔵に江戸から来た酒を飲ませ、小遣いもやって、女の子の事を聞くが、知らないと言い張る。そこで、伴蔵が全て昨夜喋ったのだと嘘を言うと、久蔵は今までの経緯をみんな喋ってしまう。「お前に聞いて、やっと様子が分かったよ」、「ええ?!」。

 帰ってきた伴蔵にお国のことを問うが、知らない素振り。久蔵から聞いたとおり、お国のことを細かく聞かせると、伴蔵は話し始めた。しかし痴話げんかになって声が大きくなり、「奉公人に聞こえるよ」。

 「ぶったね。私は悪い事をしていないよ。出て行くよ」、「黙って出て行け」、「100両、ここに出しな」、「そんな無分別な・・・」、「幽霊と取引して百両をもらった金だよ」、結果として新三郎を殺したこと、海音如来を盗んだことを大声で喋り始めた。「聞かれたら二人とも首が飛ぶぞ」。

 伴蔵の態度が一転、「勘弁してくれ。夫婦だと思うからわがままを言ったんだ。悪かった。お前がここから出て行かなくても、俺が出て行く。もし、イヤでなかったら、この店を売って越後のどこかで出直さないか?」、「私だって、苦労をしてきた仲じゃないか。私を捨てないというなら・・・」、「そうか、もういっぺん俺と苦労をしてくれるというのか。すまねぇ~」。一晩寝たら夫婦の仲が治ったと言います。実に変なものです。圓朝は原作の中で、「女房の角(つの)をちんこでたたき折り」と言っています。

 翌日になりますと、幸手のお祭りを二人で見に行った帰り道、四つ半今の時間で夜の11時頃。伴蔵が幸手堤の土手下に降りて、埋めておいた海音如来を掘り出して、「軍資金の一部にするんだ。雨が落ちてきたようだ。ん?二人連れが来るようだ、注意して見張っててくれ」。

 片や新利根、大利根の流れ、道が三つ叉になっておりまして、遠く田舎屋の盆灯籠も消えなんとして、往来の行き来は途絶え、何となくものすごい有様で、お峰は向こうへ気をとられているすきに、後ろへ回った伴蔵は腰に差している道中差しをそっと抜いて、物をも言わずお峰の肩先へざっくり斬りつける。>

一龍斎貞心・講談「東玉と伯円」

講談で講釈師(嘉永2年)の話を初めて聞く。講談師は80人弱だという。前に90人と聴いたがほんとに絶滅危惧種だ。お梅さんがいいね。

<江戸末期、講釈師の神田伯海は、芸の力はあるが品行が悪い。師匠の元を離れ、大阪に行って五年、江戸恋しさに戻ってみれば、師匠は死に、弟弟子があとを継いでいた。芸におごった自らの行状を悔いる伯海に助け船を出したのが、名人・桃林亭東玉で、その後押しで伯海は名を伯円と改めて、江戸の講釈場で新規まき直しをはかる

予行練習で、三ノ宮の高速バスターミナル確認へ。

昼は希望軒三宮東口店。


by kogure613 | 2018-08-26 22:29 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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