「笑人カフェどんげね?」~子ども食堂~。 <ナイスミートin山科コンサート>
2017年 05月 13日
2017/5/13(土)
大学院生の発表を聴く。
音楽活動を通した地域コミュニティ課題の解決について。
開放的な関係を持てるという有効性、地縁ではないことによる個人と個人の関係。緩やかな繋がり。
院生の考えも分からないわけではない。つまり、町内会とか民生委員、社会福祉協議会における見守りや居場所づくりよりも、音楽活用の方に利点があるという仮説の提示とその検証だし、実際に活動している方なので、それを研究する意義は大きいとは思う。
ただ、どこか、違和感が拭えないのも事実で、もっとうまく婉曲に言えばよかったのかも知れないが、率直に話してしまった。
芸術文化を通した地域コミュニティづくりとそうでない地域コミュニティ政策の比較なら色々なジャンル、パタンがあるから大丈夫なのだけれど。
多分、いままでの自分の経験からしても、芸術領域では、演劇が対話だとすると、音楽は会話と一体化、アイデンティティづくりという麺が強いと感じていて、どこか、自分の中で納得しづらい部分がある。唱歌教育とか出てくると余計である。まだ、ダンス領域の方が社会的包摂とかとの相性がいいようにも思えてしまう。
その点、視覚芸術の方が緩やかに出入り自由な感じがする。ライブよりも展示を見に来る関係のほうが時間的にも身体的にも緩やかだし、一体感を強制させることも少ない。
逆に言えば、音楽活用が陥りやすい問題点を出して、それに陥らないための開放性や参加のしやすさなどを出していくことで、コミュニティづくりの段階別の対応ができるのかも知れない。街角音楽ライブのふらりと立ち会う人たちが薄いけれど、ちょっとした交流、顔と顔を見合わせたり、具体的な身体を確認するということを通じて。
16時から、京都橘大学吹奏楽部が、同じく放送研究会の司会で、東部文化会館と地下鉄との共働のアウトリーチをやっている現場にいた。
<ナイスミートin山科コンサート>。TVの主題歌や嵐。小編成の演奏を入れたり、楽器紹介をしたり。なんか、龍大の吹奏楽部がやっていたのを大津で観たことがあるが、なんかそれにも通じるし、堂々としてきたな(場馴れしてきたな)とも思う。
音響装置に少し手間だっていたが、なかなかの盛況。小さな子供連れが多かったのは、土曜日の昼下がりだからだろう。あとお年寄りが多いのは従来からの特色だが、障害者の姿がちらほら。付き添いの人(ヘルパーさん)が、この機会をうまく活用させて、外に出るときのスケジュールを作っているのかも知れない。大学で自分が疑問に思っていたことが少しは解消されているのかも知れない。もちろん、これがダンスパフォーマンスでも書のパフォーマンスでも言えないわけではないが。
あと、音楽の芸術的論点として、芸術に共通する「孤独」する自由、社会を批評する眼差しの意義も検討の余地がある。どうもまちづくり、地域活性化などに助成金づくりとか、指定管理者選定とかでは話しづらいテーマではあるが。
2回ゼミ生が二人参加すると言うので、17時前に、笑人に行く。
「笑人カフェどんげね?」~子ども食堂~。
戸口で看板を書いていた二人。と、あと3名、女子学生が来て、雰囲気で京女生かな?と思ったらなんと看護学部の4回生たちだった。チーム橘5名という初めての子ども食堂となる。
ゆっくりとした繋がり。一緒に食べることによる地域コミュニティの構築。やっぱり、音楽もいいけれど、一緒に料理を作ったり配膳したり、あれこれしゃべるというのは侮れない。一つではないよね。おまつりと奉納する食べ物と音楽、舞、あるいは芸能や演芸、あるいは絵馬とか造り物があってこそだしなあ。