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伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』、藤原伊織『名残り火』

2018/11/26(月)

少し暖かいということだが、なんだか油断できない感じ。

事務局に受賞を知らせる。

2つのゼミ。3回生ゼミは、ひと仕事終わった感じ。テレビで論文についてのヴァラエティ番組があったんで、それを一緒に観る。「食欲の秋」と「恋愛」。残るは「猫」。

読み終わった本。

伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(2015年、光文社新書)

<私たちは日々、五感――視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚――からたくさんの情報を得て生きている。中でも視覚は特権的な位置を占め、人間が外界から得る情報の八~九割は視覚に由来すると言われている。では、私たちが最も頼っている視覚という感覚を取り除いてみると、身体は、そして世界の捉え方はどうなるのか――
美学と現代アートを専門とする著者が、視覚障害者の空間認識、感覚の使い方、体の使い方、コミュニケーションの仕方、生きるための戦略としてのユーモアなどを分析。目の見えない人の「見方」に迫りながら、「見る」ことそのものを問い直す。>

186<「特別視」ではなく、「対等な関係」ですらなく、「揺れ動く関係」。ソーシャル・ビューが単なる意見交換ではなく、ああでもないこうでもないと行きつ戻りつする共同作業であるからこそ、お互いの違いが生きてくるわけです。>

(注)ソーシャル・ビューとは・・・

障害者と考える身体(1) 他者の目で見る
文・伊藤亜紗
http://www.bonus.dance/essay/01/
ソーシャル・ビュー
見えない人と見える人が「一緒になって」作品を鑑賞するというスタイル
イベントの参加者は、まず6名程度の小グループに分けられる。各グループには12名の視覚に障害のある方が混じっている。ロビーで軽く自己紹介をし(見えない方にはメンバーの名前と声を一致させてもらう)、グループごとに移動して、決められた順路にしがたって所定の作品3点程度を約1時間かけてじっくり見ていく。めざす作品の前に到着すると、参加者はその作品について言葉にし始める。「3メートルほどのスクリーンが見える範囲で3つあり、それぞれに映像が映し出されています」「一つは雨が降っている様子、二つ目は人々が水に飛び込んでいる様子」「飛び込んでいる水はあんまりきれいじゃないです」…… そうやって会話をしながら、見たものを言葉にしていくのだ。ときどき、見えない人が質問を投げる。「飛び込んでいるのは大人?子供?」見える参加者が答える。「子供です…… とっても楽しそうで…… インドかどこかの国かな。」
つまり、session!において視覚障害者は、触覚などの感覚を使わず、純粋に言葉で、コミュニケーションを通じて作品を観賞——ディスカーシヴに「見る」という意味でむしろ「観」賞の字を当てたい——するのである。従来の触覚を用いた鑑賞が「ビュー・バイ・タッチ」であるとすれば、ここにあるのは「ソーシャル・リーディング」ならぬ「ソーシャル・ビュー」であると言うことができよう。触覚を通して作品を知覚しようとすることは、否応無く個人的な経験になってしまう。それはそれで一つの鑑賞方法だと言えるが、この「ソーシャル・ビュー」は、みんなで見ること、コミュニケーションを通して見るという方法である。そこにあるのは、作品の物理的な特徴を細部まで知ろうとすることから、作品が与える印象やそこから生じた思考を共有することへの転換である。見える人と見えない人が、観賞のスタート(作品の物理的な特徴)ではなく、作品のゴール(印象や思考)を共有するのである。

藤原伊織『名残り火 てのひらの闇Ⅱ』文春文庫、2010年。別冊文藝春秋に20022005まで連載。著者は2007.5.17に逝去。著者の遺志を尊重し、その原稿を使用して2007.9に文藝春秋から刊行。

面白かった。でもすこし前作と間が相手、違う作品を読んだため、登場人物を思い出すためには、文庫をひっぱってぱらぱらしないといけなかった。以下の人の感想が詳しくて、そうだなと同感なり。

還暦過ぎの文庫三昧ブロク

『藤原伊織 『名残り火 ー てのひらの闇』 (文春文庫)』 https://ameblo.jp/yone1868/entry-10581079351.html より

<つい先日読んで、その面白さを堪能したばかりの『てのひらの闇 』の続編にあたる作品である。著者の最後の長編であり、雑誌連載後の改稿作業の途中で死を迎えたということだ。
 前作から3年後、かつてタイケイ飲料宣伝課長であった堀江雅之は、いまは独立して、ひとりで企画会社を運営している。タイケイ飲料は大手の尾島飲料に吸収されて姿をとどめていないが、かつての部下であった大原真理は尾島飲料に移籍後もバリバリと仕事をこなしている。また、ナミちゃんが経営する「ブルーノ」は六本木から目黒に移転していた。弟のマイクがコロンビア大学に留学したこともあり、規模を縮小したのだ。3年を経て、若干の変遷はあったものの、前作の登場人物はこの物語でも健在である。そして、堀江雅之が「私」の一人称で語るという構造も、前作同様である。
 物語の発端は、タイケイ飲料取締役で「私」の友人であった柿島隆志が何者かに襲われ、3日後に死亡したことだ。柿島はタイケイと尾島の合併を纏めた後、大手流通グループのメイマートに転職して、つい先日そこを退職したばかりであった。表面的には、若者のオヤジ狩りによる暴行とされる事件であるが、「私」はその背景に疑問を持ち、調査を開始する。
(略)
この作品でキャラクターが際立つのは、サンショーフーズ社長の三上照和だ。東証2部上場まで会社を育てた立志伝中の人物であるが、死んだ柿島と親交があったこともあり、「私」への手助けを惜しまない。彼は「ブルーノ」の常連となって、あろうことか、ナミちゃんの心まで掴んでしまうのである。
 もう一人は、柿島の妻の奈穂子。二人はニューヨークへ留学中に知り合い、その後の曲折を経て結婚したのであり、奈穂子はハンプトン証券日本支社の副社長である。物静かな彼女が物語の最後で一変するのが、この作品の最大の山場であると言えよう。柿島の死は、遠くニューヨークに遠因があり、流通業界の闇の部分が噴出したものでもあった。>
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by kogure613 | 2018-11-26 21:42 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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