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iaku『遭いに行くの、雨だけど』八尾プリズム小ホール

2018/12/21(金)

iaku『遭いに行くの、雨だけど』作・演出:横山拓也@八尾プリズム小ホール。2時間。

19時半から2132。多くの演劇人が集まっている。関西の演劇関係者、ベテラン中堅の役者さんたち比率の多さに驚く。


ふと『ほほえむちから』(作詞:谷川俊太郎、作曲:小室等)の歌詞を心の中で口ずさんでしまう。糸賀一雄音楽祭にいつも歌うので。「もどかしいからだ とぎれることば」「くるしむわたし くじけるあなた」。

そうなんだなあ。生きているというのは「もどかしい」気持ちの連続なんだ。でも「いまここにいきるわたしは あなたがいないといきてゆけない」のでもあって・・・

素晴らしい、普通の人々の物語。舞台美術も照明も、最後の終わり方の少し前(2126)の容赦のない暗転とエピローグ的に続くほのかな希望と幸せの予感。卵とキャベツのお味噌汁が気になる。

<イントロダクション

小学生のとき。幼なじみに負わせたケガのせいで、うちの家もあっちの家も、ままならなくなってしまった。あの事故で何もかもが歪んでしまった。あんなにひどいことになるなんて。あれから長い月日が経ち。あの子は、あの人はどうしているだろう。ときに振り返ってみたり、ときに立ち止まってみたり。それでも日常は進行する。「人生」という尺度を実感出来る歳になって、ようやくわかった。あの事故にまとわりつく罪や遺恨は、きっとどこまでいっても終わりはない。>

登場人物紹介:

大沢潤(=尾方宣久〈MONO〉)左目が義眼。10歳の事故のあと転校、好きだった君ちゃんとは会っていない。どこか諦観しているような雰囲気、自動販売機の営業で野球場を訪ねる。

金森君子(異儀田夏葉〈KAKUTA〉)潤と絵画教室で仲良し(フィアンセ】、お母さんの形見のガラスのペンを潤に取られて・・・・美大を出て焼肉屋でバイトしつつ、絵本作家の入り口に。加害者である自分を許すことはできるのか・・

石本智(納葉)君子の友人、かってにアシスタント。

風見匡司(松本亮:扉座出身)右目が義眼。舞台美術は抽象的だけれど一応野球場の客席。そこで働いている。高校野球の監督のノック?かで片目に。

この4人は2018年冬(現在)の登場人物。

次の4人は1991年夏の登場人物で、潤や君子は見えないで存在している、もちろん、27年前の子供として。

金森悠太郎(近藤フク〈ペンギンプルペイルパイルズ〉)金森君子の父なのだが、妻がなくなってから君子とどう接するのか分からない。色々問題のある人物。

小出舞子(橋爪未萠里〈劇団赤鬼〉)君子の母の妹。姪っ子君子を5年間育ててきた。悠太郎への片思い、君ちゃんのお母さんとして育てたいのだが・・・

大沢和子(川村紗也)潤の母、金森悠太郎と大学時代から友達として気楽に付き合っている。二人は互いのパートーナーやその妹の苛立ちや嫉妬には無頓着(のように振る舞っている)。

大沢秀典(猪俣三四郎〈ナイロン100℃〉)妻和子が悠太郎と気楽に会っているのがどうしようもなく苛立たしい。もどかしさを抱える人たちの中で、それを越えてしまう人。彼には共感を覚える人は少ないだろうが理不尽な運命なんだなとは思わされる。一番哀しいのは、子供潤への商品というような比喩に見られる偏見。しかし本心なのか。


障害者認定にはならない障害を持つ人について、本人やその原因を作ってしまった人を中心に世界は動いてしまったあとのその後への想い・・


[参考]

http://www.iaku.jp/information より引用

<はじめまして

iaku2012年に劇作家の横山拓也が大阪で立ち上げた演劇ユニットです。緻密な会話が螺旋階段を上がるようにじっくりと層を重ね、いつの間にか登場人物たちの葛藤に立ち会っているような感覚に陥る対話中心の劇を発表しています。これまで、一場面、一連なりの時間の中で描き切る作品を多く作ってきましたが、2017年に発表した「粛々と運針」以降、抽象的な場所や時間を取り込むことに興味を持って作劇しています。本作でも、いくつかのチャレンジを試みます。舞台美術家の柴田隆弘さんには台本の起筆に先行して美術プランを立ててもらったり、劇中音楽として僕が20年に渡って欠かさず新譜を聴いてきたアーティストsmall circle offriendsの楽曲を使用することを先決したり、今までやってこなかったようなやり方も取り入れて、新鮮なスタートラインを設定しました。「こんな風に作れば及第点は取れるだろう」「あのとき上手くいった方法論で安全に創作しよう」という守りには入らず、自分に刺激を与えながら新たな境地へ踏み込みたいと思っています。そこに今まで築いてきた作風やカラーみたいなものが自然と、さざ波のように交じってきて、ちょうど良くなるんじゃないかと踏んでいます。今回は関西弁のニュアンスに頼らずに進行することになりそうで、その辺り少し不安がありますが、ユーモアとエンタテインメント精神をもって、間口を広くしてお待ちしています。作・演出 横山拓也>

<作品について

ある芸能プロダクションの養成所で、幼年児クラスに演技を教える仕事をしたときのこと。4歳の子が「誰々くんにイヤなことされた」と報告してきたので、「誰々くん、◯◯ちゃんイヤやったみたいやで」と嫌がらせをした本人に伝えたら、すぐに◯◯ちゃんに近づき「ごめんね」と言った。すると◯◯ちゃんは、反射的に「いいよ」と返した。「え、本当にいいの? もう許すの?」と僕は問うたが、そこでケンカ(未遂)は終了した。そういえば、保育園や幼稚園でも「ごめんね」「いいよ」という、まるで合言葉のような仲直りのやり方があると聞いたことがある。それを目の当たりにしたのだ。ここは関西なのに、いわゆる標準語で往復する「ごめんね」「いいよ」の機械的な言葉の交換に強烈な違和感を持った。このやりとりを見て、子ども同志のイザコザの中に、被害者と加害者にならざるを得ない事故が発生した場合、どうなるのかを想像した。大人たちを巻き込んで、「ごめんね」「いいよ」では片付かない事態に発展。やがて、人生レベルで影響していく。「許す」とは何か。寛容であることでもなくて、我慢することでもなくて、諦めることでもなくて。また、許す行為には、時の経過が関わってくる。「忘れる」という罪も発生する。許す・許される関係の間にある葛藤、ドラマを見つめたい。>



4限目、行政法14回目。来年11日は確認テストだ。その前に授業アンケートとかしてもらうのを忘れないように。去年まで行政学をやっていて、時事ネタを学ぶところに合わせてプリントしていたが、行政法では無理かなとか思いつつ、ニュースは捜していた。今回は「事情判決の法理」を残していた。それは、ちょうど一票の格差判決があるので、それまで待っていたわけ。1.98倍ということだったこともあり、やはり合憲になってしまって・・・まあ、過去の違憲違法だけれど棄却という事情判決の昔の判例を並べて示す。

慌てて、近鉄八尾へ。鶴橋乗り換えのとき、御座候が肉まんを売っているのをちらりと見てすこし驚く。

ラーメンと半焼き飯。

プリズム小ホールへ。雨が降っていた。

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by kogure613 | 2018-12-21 22:15 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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