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熊谷博子『作兵衛さんと日本を掘る』京都シネマ

2019/8/6(火)

玄米の水加減でしたら、柔らかくなりすぎる新しい炊飯器。

再挑戦するか。

熊谷博子『作兵衛さんと日本を掘る』へ。

熊谷博子さん(『御池 終わらない炭鉱の物語』)から手紙が来ていて、第七藝術劇場か京都シネマに行こうと思っていて、ようやく、京都シネマへ。1725から。蒸し暑くてちょっとぐったりしていたが、アール・ブリュット研究としても興味深い山本作兵衛さんの絵や映像を中心に、作兵衛さんの子供や孫、そして、女性坑夫さんの103歳から105歳の姿やお話を聞けて、大満足だった。

中心の地域は、福岡県田川市。作兵衛さんが住んでいた筑豊地域だ。

あと、筑豊文庫があった鞍手町。その子供さんがしっかりと話してくれていた。

作兵衛さんのごっとん節。12歳の上野朱(あかし)さんが録音したという。

いろいろな逸話。たとえば、作兵衛さんが描いた絵を女炭鉱夫が視て、笑い出したという。そんな上着なんか来てなかったよ、ずぼんももっと短い・・・作兵衛さんは、そのあとは、乳房を出した当時の女性を描くようになったという。なんという女性の強さ。

筑豊の女性の逞しさが特に印象的だった。

男はすぐに酒を飲むが、彼女たちは、暗闇からぽつんと明かりが見える地上で、自分の子供を抱っこすることだけを希求して歩むのだ。

熊谷博子『作兵衛さんと日本を掘る』2018年、111分。

2011525日、名もない炭坑夫の描いた記録画と日記697点が、日本初のユネスコ世界記憶遺産になった。暗く熱い地の底で、石炭を掘り出し運ぶ男と女。命がけの労働で、この国と私たちの生活を支えた人々の生々しい姿である。

 作者の山本作兵衛さん(1892-1984)は、福岡県の筑豊炭田で、幼い頃から働いた生粋の炭坑夫だ。自らが体験した労働や生活を子や孫に伝えたいと、60歳も半ばを過ぎてから本格的に絵筆を握った。専門的な絵の教育は一度も受けていない。そして2000枚とも言われる絵を残した。

 作兵衛さんが炭鉱の記録画を描き始めたのは、石炭から石油へというエネルギー革命で、国策により炭鉱が次々と消えていくさなかであった。その裏では原子力発電への準備が進んでいた。作兵衛さんは後の自伝で「底の方は少しも変わらなかった」と記している。その言葉から半世紀。作兵衛さんが見続けた「底」は今も変わらず、私たちの足元に存るのではないか?

 作兵衛さんの残した記憶と向き合い、その絵さながらに働いた元おんな坑夫の人生や作兵衛さんを知る人々の証言を通じ、この国の過去と現在、未来を掘る! ゴットン!

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(参考)

 MAGA9.JP

『作兵衛さんと日本を掘る』(2018年 日本/熊谷博子監督) https://maga9.jp/190515-4/

<作兵衛さんの三女・井上富美さんは、いまもなお作兵衛さんのことを「タンコタレやろが」と面と向かって言う人がいると話す。上野英信さんの長男・上野朱さんは、炭鉱をイメージさせる「筑豊」という名称をなくすことが検討されたり、炭鉱のあった番地は避けられたりしていることを述べている。きつく、危険で、きたなく、誰もがやりたがらないが、誰かがやらなければならない仕事に従事する人々を差別する心性は大昔からある。だけど、炭鉱労働者がいなければ明治以降に国が推し進めていた殖産興業は成り立たなかった。その労働者を地元の人々が蔑視するのはどういうことなのか……

 監督の熊谷博子さんは「当時の炭鉱の姿ではあるが、私には、そのまま現代に思えた。中に描きこまれた労働、貧困、差別の問題、戦争への記述、共働き夫婦の家事労働に至るまで今と同じだ」と書き記している。

 そう、何も変わっていない。最後にエンドロールが流れているとき、この作品が『作兵衛さんと日本を掘る』と名付けられた意味がふっと腑に落ちた。>

 KIRISHIN.COM

【映画評】 『作兵衛さんと日本を掘る』 地の底からの眩い光 201961 | キリスト新聞社ホームページ http://www.kirishin.com/2019/05/31/25571/

<本作の制作に、熊谷博子監督は実に丸6年を費やした。その射程は作兵衛個人の伝記映画に留まらない。それは前作『三池――終わらない炭鉱の物語』に続く炭鉱ドキュメンタリーのさらなる深掘りであると同時に、社会全体を相手どる新たな挑戦でもあった。戦後のエネルギー政策転換による炭鉱の閉鎖と原子力への傾注とは軌を一にしたが、奇しくも記憶遺産への登録が2011年の原発事故から2カ月後であったことは象徴的だ。石炭に依存した産業革命は労働力を都市へ集約させ、石油への転換は欧州から米ソへの覇権移行を伴った。列強の石油戦略は日本の敗戦をも招いたが、こうした地表における社会の変貌を地底から支えたのが炭鉱労働者たちの命運だった。

 ならば石油から原子力への転換を夢みた現代日本の施策は何を変えたのか。「令和」における外国人労働者の受け入れは何を継ぐのか。作兵衛が絵筆をとったきっかけは、長男のマラッカ海峡での戦死だった。「底のほうでは少しも変わらなかった」との言葉を残し、「平成」の世を見ることなく作兵衛は1984年、92年の生涯を閉じた。

 映画では、作兵衛の絵画を背景とする抑制の利いた語りの合間に、生き証人たちへのインタビューが挿入される。なかでも撮影時104歳だった橋上カヤノの場面は圧巻だ。夫と八人の子に先立たれても「貧乏が一番の力になってくれた」と回想する表情は不思議と明るい。そしてこのとき彼女の瞳が放つ光の強さに本作の精髄は結晶する。>

 美術館・アート情報 artscape 山本作兵衛の炭鉱画https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BD%9C%E5%85%B5%E8%A1%9B%E3%81%AE%E7%82%AD%E9%89%B1%E7%94%BB

<筑豊の炭鉱労働者だった山本作兵衛が描いた炭鉱の絵。炭鉱労働や炭坑住宅(炭住)の暮らしの実態を墨と水彩で克明に描き出した。絵の余白に詳細な説明文を書き込む画風が特徴である。記録文学作家の上野英信や美術家の菊畑茂久馬によって見出され、画文集『炭鉱に生きる』(1967)を発表、没後の2011年にユネスコの世界記憶遺産に指定された。山本は1892年(明治25年)、現在の福岡県飯塚市に生まれた。幼少の頃より炭鉱労働に携わり、筑豊各地の炭鉱(ヤマ)を転々としながら、その記録を日記や手帳に残していたが、炭鉱事務所の警備員となった1960代半ばになって炭鉱画を描きはじめ、明治、大正、昭和と三つの時代の炭鉱の記録を絵に表わした。その数は1,000点を超える。筑豊に暮らす上野英信の手引きによって山本と出会った菊畑茂久馬は、その絵に衝撃を受け、美学校の生徒とともに模写し、200号の壁画を制作した。山本の炭鉱画は、近代絵画の水準からすると洗練されておらず、文字も含まれているため、モダニズムの観点からは評価されにくい面があるが、他方で近代絵画には望めない生き生きとした民衆絵画として評価されている。炭鉱が「近代」を支えてきたにもかかわらず現代社会から忘れられているように、山本作兵衛の炭鉱画は近代絵画によって切り捨てられたものを描き出しているのである。著者: 福住廉>

 「筑豊文庫の食卓」再現 記録作家の故上野英信さん、鞍手町で開設 来客もてなした料理

2018/10/10 西日本新聞https://www.nishinippon.co.jp/item/n/456305/

<記録作家の故上野英信さん(1923-87)が、鞍手町の炭鉱長屋を改築して開いた住居兼活動拠点「筑豊文庫」で訪れる人をもてなした食卓の品々が再現された。長男で古書店主の朱(あかし)さん(61)=宗像市赤間=の記憶を基に直方市食生活改善推進会がつくり、市内のイベントで市民らが味わった。企画した直方歳時館(同市新町)は再現第2弾も検討する。

 「筑豊文庫」は64年に英信さんが鞍手町に移り住んで開いた。炭鉱で働いた経験を持ち、エネルギーの転換によって消えゆく炭鉱や労働者の姿を記録する作家の元に全国からジャーナリストや写真家、画家、学生らが集い、好きな酒を交えて妻晴子さんの手料理でもてなしたという。

 その食卓の風景を5日に始まった「食を楽しむイベント」で再現。「大きな皿にどーんと料理をのせて自由に食べてもらった」との朱さんの記憶に沿って「おしながき」とともに、皿に盛ったがめ煮や英信さんの好物という「鶏もも肉の煮込みから揚げ」などがテーブルに。事前の募集に応募した市民を含め約30人が箸をのばした。

 朱さんと親交のある北九州市出身の画家牧野伊三夫さん(54)は「ここにあるのは毎日食べたい家庭のごはん。みんなとわいわいやりたくなる」。筑豊の炭鉱の歴史を人々に聞き取って研究している東大大学院生の川松あかりさん(28)は「彩り豊かでも飾り立てた特別なおもてなしではない。当時がしのばれる」と文庫の食卓に思いをはせた。

 併せて開かれたトークイベントで、朱さんは「英信は大変な食いしん坊。母を手伝い、私は台所で育った」「まるで旅館のように多くの人が集まり、楽しい食卓だった」「山菜や野菜、魚など近所の人々が食材を持ち寄り、支えていただいた」などと思い出を披露。牧野さんや川松さんらと食卓を囲み、「とても懐かしい」と感慨深げだった。

 今回の品々を松花堂弁当で楽しめる千円の「筑豊文庫の食卓おしながきランチ」が14日に提供されるが、限定30食の予約は既に満杯に。直方歳時館は「春にはワラビやツクシと、季節ごとの彩りが食卓にはあったと聞く。市民の皆さんに食べていただく機会をまた検討したい」としている。>


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by kogure613 | 2019-08-06 22:58 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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