ボーダレス・アートミュージアムNO-MA企画展『忘れようとしても思い出せない』
2019年 08月 29日
2019/8/29(木)
雨が上がる。
蒸し暑いが、この日だなと思って『忘れようとしても思い出せない』、ボーダレス・アートミュージアムNO-MA企画展へ。タイトルはかなり奇妙でインパクトが有る。ノンセンスのようだし、ネジ曲がった記憶と意識の境のようでもあり。『快走老人録~老ヒテマスマス過激ニナル~』(2006年)とか、秀逸な展覧会名を思い出すが、考えてみれば、展覧会なづけについての研究とかあるだろうか?探してみよう。いま話題の「表現の不自由展」とか直接的なものやひねったものや。カタカナで難しいなと思ってしまうものもあるかな。
あとで、NO-MAの展覧会タイトルをさかのぼって観てみた。分かりやすいものなどもあるし、よく考えて名付けられて、昔の鑑賞の記憶が蘇るものが多い。NO-MAの最初の展覧会名は、『私あるいは私[静かなる燃焼系]』2004年7月3日(土)~9月20日(月・祝)。
近江八幡駅、大杉町(バス停名がもっと長くなっていた)下車。
旧八幡郵便局(ヴォーリーズ建築)や酒游舘のある通りへ。
この前、違うところでメンチカツを食べたら、まるたけさんがいいよと教えてもらったので、ここではコロッケを昔初年次教育で学生たちと食べた以来なので、ミンチカツ(メンチカツではなくミンチカツ185円とあった。コロッケの70円との差が何か迫力)を買って食べる。衣の歯ごたえ、熱い。紙に油が滲んでこの対策はいるかも。まるたけ近江西川(創業者が西川竹次郎さんだからか)。
さて、『忘れようとしても思い出せない』。5名と1グループ。
4名のおうみ映像ラボ(2014年結成)だけ撮影が禁止。2回の奥。4箇所に、家族などを撮影した8ミリフィルムの映像が流されている。結婚式(1973年頃)など研究するのに確かに役だちそう。「知らない誰かの、いつかの思い出に触れる」。当時はこういう形で鑑賞されることをまったく予想されていない家族や組織のためだけの動く家族アルバム。限界芸術論の典型的対象。
手前は、何かの南国のフルーツの絵のようだ。ただし、実の真ん中が違う世界を映している。なにか陽気な気分になる。西村一幸(1936年生まれ)、ピラサンカ。「作者の想像に実った唯一無二の植物の形」。今度ワークショップ現場訪問の施設の人だ、創作ヴィレッジこるり村。
ピラサンカ(トキワサンザシ)、花言葉は、燃ゆる想い、慈悲、美しさはあなたの魅力、快活、愛嬌、防衛。赤、黄色、オレンジの実がたわわにつく。
さて1階の室内は3名。
田中秀介(1986年生まれ)「眼前のありふれた日常の揺るぎなさ」とチラシにある。一見、普通の日常などの一コマを切り取っているようであり、大小色々だなとか思いつつ、よく見るとスリッパとか普通こんな切り取りはしないなとか見続ける。
「化門」でおお、タイトルがいいのかね!と分かってくる。なんでもないような、見過ごしそうな景色をじっと視て、そして名付ける。「バケモン」?養生された大きなガラスドア?
齋藤勝利(1954年生まれ)「後方にこぼれていく車窓の風景を紙に定着させる」。聾唖のため、言葉が使えず、絵で話していたことから、絵の手法も学び、スケッチブックに連続画として残す。記憶。そのうちに視力もなくなっていったということ。スケッチブックなので全体像は展示できないので、映像で映している。それと、実際の車からの風景動画もあり、なるほどなあと思いつつ、一瞬の記憶の強さが伺える。
岡部亮佑(1993年生まれ)「記憶にアクセスするドローイング」とある。実は、あらあ、現代アートぽいなあとチラシを見たときから思い、実際にその展示を見ても、めちゃめちゃ繊細で赤い服の横向きの女性の連続と不連続に、かなりの意図があるように思わされる。こちらの過剰反応を、意図させてはいないものの、写真とドローイングの接続とか、抽象画風とか、見飽きない。ただ、展示を全部見たはずなのに、どこか見落としたような、そんな不思議な気にさせる平面だ。
鬼海弘雄(おにうみひろお、1945年)浅草ポートレイト、「街に漂う無名の人たちのポートレイト」。カタログによると、「人通りの中から、気になった人物に声をかけては浅草寺の境内の無地の壁に立ってもらいシャッターを切っている」という。
一人ひとりは個性的だし、一癖も二癖もありそう。でも、ずっと見続けているうちに、確かにこういう人たちで世界は構成されているんだなと思いだしてくる。
高齢者が多いし、入れ墨を見せて、これは本物よという女性もいる。
珍しくカタログを買った、1300円。カタログにない作品をどれだけ覚えているかって思っているうちに、この展覧会は展覧会を見て、忘れてしまっていく時間と、思い出そうとする作業についての展覧会でもあるんだなとしみじみ。