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鵜飼秀徳『仏教抹殺―なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』 田崎基『令和日本の敗戦──虚構の経済と蹂躙の政治を暴く』

2020/10/6(火)

京都橘大学へ。

3つのゼミ。

卒業研究中間報告会は、20日。一人、研修で出ることができないという。

個別対応をお願いすることに。

 

読んでいた新書。

田崎基『令和日本の敗戦──虚構の経済と蹂躙の政治を暴く』 ちくま新書、2020.4

<崩壊寸前のこの国は、やがて「令和の敗戦」を迎える……異次元政策のせいで循環せずに停滞し続ける景気、成長なき経済状況のもと疲弊しきった「働く人」と拡大する格差、隠蔽と欺瞞が常態化し民主主義を蹂躙する政権の振る舞い。2013年以来「この道しかない」と各政策を掲げ続ける安倍晋三首相が、戦後最長の期間政権の座に留まったことの末路だ。戦わずして「敗戦する国」日本の正体を、経済・社会・政治の各現場を取材した気鋭の記者が炙り出す。>

 

これは、石清水八幡宮に近いこともあり、ずいぶん気になっているものだ。

鵜飼秀徳『仏教抹殺なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』文春新書、2018年。

<明治百五十年でも語られない闇の部分、それが廃仏毀釈だ。神社と寺院を分離する政策が、なぜ史上稀な宗教攻撃、文化財破壊にエスカレートしたのか?日本各地に足を運び、埋もれた歴史を掘り起こす近代史ルポルタージュ。>

 

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廃仏毀釈の要因は主に四つが挙げられるだろう。

 権力者の忖度

 富国策のための寺院利用

 熱しやすく冷めやすい日本人の民族性

 僧侶の堕落

 

特に、で、明治初頭、金属が豊富にあるのは寺院だった。京都の四条大橋なども廃棄された寺院の仏具などが使われたという。

江戸時代、広大なお寺の領地を召し上げて、そこに学校を建てた。小中学校の歴史をみると、最初はお寺の中ということが多いが、かなり廃仏毀釈のなかで、空地ができたということだったようだ。

 

書評『仏教抹殺』鵜飼秀徳著 〈週刊朝日〉永江朗2019.3.27 https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2019032500038.html?page=1

< かつてタリバーンがバーミヤンの大仏を破壊したとき、なんてひどいことをするのだと腹が立った。だが、よく考えてみると、ほんの150年前の日本人も似たようなことをした。廃仏毀釈である。鵜飼秀徳『仏教抹殺』は、明治維新のときに起きたこの異常な事態についての本。
 1868(慶応4・明治元)年、新政府は一連の神仏分離令を出す。古代から続いてきた神仏習合を禁じて、神道を国教にしようとしたのだ。ところが、神仏分離のはずが、仏教弾圧になった。寺院は潰され、僧侶は還俗を強いられた。仏像や経典は燃やされ、仏具は溶かされて建物や橋の一部となった。
 あの奈良・興福寺の仏像すら捨てられた。廃仏毀釈がなかったら、国宝の数はゆうに3倍はあっただろう、と梅原猛が指摘したそうだ。
 この廃仏毀釈、実に奇妙な事件だったと、本書を読んで思う。広がるのも早かったが、終息も早い。ほんの12年で破壊は収まる。
 なぜ廃仏毀釈が人びとを熱狂させたのか。著者は四つの要因をあげている。まず権力者の忖度。地方の権力者たちが、新政府のご機嫌を取ろうと過激な行動に出る。昨今の安倍チルドレン議員がトンデモ発言をするのと同じだ。二つめは富国策のための寺院利用。潰した寺院を学校として使ったところも多い。三つめは熱しやすく冷めやすい日本人の民族性。そして四つめが僧侶の堕落だ。廃仏毀釈に迎合した者もいた。
 僧侶でもある著者は、人口減少等によって寺院が維持できなくなっている現代は、かつての廃仏毀釈とさほど変わらないと述べる。寺と僧侶はまた棄てられるのだろうか。週刊朝日  201945日号>

by kogure613 | 2020-10-06 22:00 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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