奥山景布子『時平の桜、菅公の梅(じこうのさくら、かんこうのうめ)』
2021年 07月 21日
2021/7/21(水)
真夏になった。
久しぶりに、6時から、背割堤を歩く。
読んだ本。
奥山景布子(きょうこ)『時平の桜、菅公の梅(じこうのさくら、かんこうのうめ)』中公新書、2014年。2011年単行本。
<凡庸だが人心の機微を知る貴公子・藤原時平。破格の才力で他を圧倒する菅原道真。親の七光りで出世を重ねる時平は、自力で地位を築いた道真を敬慕し、その背中を追って国政に奮闘する。しかし上皇が時平率いる藤氏を疎んじ、道真を偏愛したため朝廷は二つに分裂。時平はかつて志を分かち合った道真と、互いの政治生命をかけて対立することになる!>
<凡庸な貴公子・藤原時平と孤高の秀才・菅原道真。世代も身分も境遇も違うふたりの男が、互いに魅かれあい、そして離れゆく…。国の頂点を目指した男たちの熱き闘いを描く。>
奥山景布子作品は、まず『秀吉の能楽師』を読み、『恋衣 とはずがたり』を読み、今回、『時平の桜、菅公の梅』。時代が、桃山時代から鎌倉時代、そして平安時代へと遡ったことに。
正直、『恋衣 とはずがたり』よりは、読みやすかった。少しは、予備知識があるからだし、紀貫之の飄々とした味わいとか、菅原道真に打ちのめされた三善清行の復活とか、貴族の格差、いがみあいなどが読み進めるドライブになる。
しかし、最初は、藤原時平が語る章と菅原道真が語る章が交互にあるのかな?と思ったら、完全に、藤原時平の視線ですべて語られる。そういうこともあるが、藤原時平という人をこんなに丁寧に心理的な動きも含めて想像して創造するとはあ思わなかった。
やはり、女性たちの存在も気になる。特に、在原業平の孫の布都子(ふつこ)を略奪婚する時平。伊勢を弟仲平と取り合うとか、それなりの恋ばなもある。
p111に、菅原道真が、「朝廷で用いる言葉もすべて、大陸と同じにしてしまってはどうか」というところなど、能力主義で、漢文大好きのところがよく表れている。
p241 これは院政のことだったのか?とも思うがもっと過激な「革命」を意味していたのかも知れない。帝の血筋と政が分かり難く絡み合って、血筋を繋ぐ女系を輩出する所=藤原に政を動かす力が集まると道真。
<もっと言えば、帝という制度にも疑念を持っております……これは、民のために真実益ある制度なのでしょうか>
p137の紀貫之と藤原時平の会話も興味深い(このあとの生理現象もまたおもろい)。千利休の処刑のあとの『秀吉の能楽師』に通じるところだが。
紀貫之「風雅のない政は人を滅ぼします。それど、風雅に寄り過ぎた政は弱く、狭くなる。一方、政のない風雅は滅びます」
藤原時平「政に寄り過ぎた風雅はどうなるのかな」
貫之「臭いでしょうな」