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ユニークポイント『トリガー』。ポかリン記憶舎『煙の行方』。

つっこみ所いっぱいのアーツ。
これって、私たちのなかでは、とてもプラスなイメージで、つっこみ所をいっぱいつくろうとか、今度の「めくるめく紙芝居」プロジェクトでも言っているぐらい。
「つっこみ所いっぱいのCD(でいいのか?)になっていると思います」と、包みを開けると森本アリさんがCD『!』の送り状に書いてあったので(振り込み先はまた聞かなくちゃ)、忘れずにメモっておく。
三田村管打団?の?というのも、なかなかの味で、バンド名?がもうすでにつっこみ所ばかりなわけだけれどね。

シャガールよ、奈良美智よ。
と電話の向こうで子どもたちが興奮して言っているので、テレビをつけると(新日曜美術館)、高橋さんという白いシャツがさわやかな学芸員さんも一緒に、大きな空間の四方を取り囲むアレコなどで奈良さんがお話をしていた。新しくできた青森県の美術館である。また、完成してからずっと見ていない美術館にならないようにしなくちゃなあ。

TOKYOSCAPEの3本目、4本目の鑑賞。

ユニークポイント『トリガー』。作・演出:山田裕幸。アトリエ劇研。これもまたまじめな作品。コンビニの時給が680円といっていたので、当日パンフを見なくても数年前のことだと分かる。題名もずばり、trigger。鉄砲の引き金。誘引。比喩というよりも、この作品においては、より直接的なものとなる(使用するのは、鉄砲ではないけれども)。




常識的に見れば、主人公がやってしまった殺人行為の直接の誘引は、離婚状を目の前に出されたこと。それも、仲人を妻と二人でした直後。ベンツの運転をしていた男との関係や自分の認知症の親が原因であったことが、離婚の理由とすると、まあ、離婚の成立がその行為(介護に疲れてその親を殺めてしまう)の引き金であるというわけである。

ところが、本人は、ぐらぐらしていた右奥歯が、離婚状にハンコを押したその日に抜けたことが、その行為の原因(トリガー、誘引)ととりあえず説明している。主観的にはそうなのだろうから(言い訳をするようなタイプではない)、どちらが正しいということは言えない。そのどちらでもないということももちろんできる。蛍光灯のつき方が暗示的だがあくどくはない。事件現場は現われない。表しようがないのだろう。あるのは、漂う臭い。それを臭いという妻、妻に防臭スプレーを執拗にかける夫。

タバコの臭いを気にしながら、出戻りの娘が専業主婦の母のところに戻る(おなじアパート)所もあり、臭いはかなり重要ポイント。でも、ユニークな臭いではなく、アパートの同じ間取りと同じく、どこでもありうる設定。どこでもありうるポイントに対して、奇を衒った作劇術、演出術を使わずに台詞にしている。主人公の夫が突然声が大きくなる、いくつかの感情爆発寸前のポイントにおいて。

ふと、この劇団名のユニークというのは、個性的とか「オンリーワン」とかではなく、孤立した人間の(ロンリーワンの)、というぐらいの意味なのかも知れないなと見ながら思った。それほど、展開がスムーズで逆に色々観察する余裕がある作品だった(そこが閉鎖的で展開が見えず、狂おしいまでの凝縮感を覚えた『赤き深爪』との大きな違い)。

ポかリン記憶舎『煙の行方』。西陣織成館の須佐命舎というスペースにて。
タクシーで行ったら時間がかなり余った。麦茶のサービス。浴衣美人の案内。
『トリガー』も1時間半にはならず、東京の演劇は比較的関西よりは短めなのかなと思ったら、一般的には、東京の方が長いということで、このお芝居は連続して見られるように、短めのものをセレクションしているのではないかということだった。これは、確かにそうかも知れない。

長さは京都でこういうフェスティバルで行うからそうしたということだというのは、このポカリンでもそうで(60分)、実は、女優4人の公演の前に、男優4人の公演がセットになって初演では見られるようになってもいたということである。それでも、ここではきっと、この女優4名のステージはそれはそれで完結しているように提示されているのだろうし、最後に、作者(たぶん、着物美人でかつ夏目漱石の作品から抜け出てきたみたいな女性)がそういうお話をしたのは、丁寧に作品解説しつつ、戯曲も販売していることをさりげなく教えてくれたためだろう。

日本舞踊の稽古そのものは見せず、
稽古している人の待機場所で、稽古している人って、どんな仕草になるのだろうか、とか、そういう世界の独特の仕草、態度、物言い。そういう設定をこの庭が見える場所で巧みに活用しつつ、「溺れる」ことへの恐怖と憧れの気持ちを金魚が泳ぐ金魚鉢の置かれたテーブルのある部屋で展開する。ゆっくり、物憂げで優雅というか、囲われている女が持つようなけだるさも幾分潜ませて。

リンゴ酢ジュースのあぶくと金魚鉢(これは現実にそこに在るもの)から、母に顔を押し付けられた洗面器、学校のプール、波が怖い海、足を引っ張られた川、そして、銭湯(これは意外で面白かった、ヒトデのように浮かぶ見学希望者の話として出てくる)の「記憶」が紡がれていく。もちろん、学校のプールに染み出た紅さの煙として気化する行方がクライマックスであろう、一応。

これで、4名の京都橘大学生(と院生)に会ったことになる(ポカリンの帰り、西陣GARDENファクトリーに寄ると光の塾が終わった直後だったようで、中に入れたので学生たちは喜んでいた)。もちろん、会えなかったがTOKYOSCAPEを授業で知って行った(これから行く予定の)学生ももう少しはいるだろう。

わたしもほんとに遅々としてなかなかうまくいかない劇場への誘いなのだが、このいわば「鑑賞者開発」について~院生が研究していることもあり~、私なりに後期の授業に入れておくのも意義があるかもなあとも思っている。

とりあえず、一番授業展開として、素直なのは(いま思いつくのは)、

①鑑賞者開発とは何か~欧米での実例、美術館における取り組み事例・・・~
②なぜ鑑賞者開発は必要なのか~日本における必要性は?芸術教育とりわけ鑑賞教育の不在、有名なものメジャーなものしか鑑賞しないことで起きている芸術創造側と受容側とのアンバランス問題、多様な演劇がなくなることが、様々な面で「もったいない」ことになるのだという視点からのメンション・・・~
というような総論を述べた後

アーツマネジメントを行う主体を分類したあとぐらいに、演劇を例にすると、
③劇団(演劇界)による鑑賞者開発~ここでも鑑賞者の存在は演劇創造のためにも必要で、その不在は創造の種を消滅させるために「もったいない」ことなのだという視点を繰り返してもいい~、そして、
④劇場ホール側の鑑賞者開発、さらに
⑤サービスオーガニゼーション(「創り出し手」と「受け取り手」、アーツ行為と社会組織とをむずぶNPOなど「繋ぎ結び手」)による実例を挙げていくという風にするのが、理解されやすいものだろうと思う。
by kogure613 | 2006-07-30 23:44 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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