人気ブログランキング | 話題のタグを見る

国立文楽劇場へ 16時から19時半近くまで、『心中天網島』を堪能し

11/22(水)
基礎ゼミ。男子学生2名の発表。どちらも自分の体験をベースにしていてなかなかいいものだった。
高校時代から地域のことを調べてアンケートをとっていた学生、スポーツ少年団を調べた学生もやはり高校一年生のときからずっと少年サッカーチームのコーチをしている。

今日は校務はないので(昨日ずいぶんしたからなあ)、少し読書をして(ポピュラー音楽の社会学的考察についての文献)から、国立文楽劇場へ行く。16時から19時半近くまで、『心中天網島』を堪能した。
はじまる前にギャラリーをのぞくと、とても熱心なボランティア解説員さんがいて、人形を実際に持てと娘に言う。けっこう重いのでびっくりする娘。じつに丁寧に舞台のことや人形の作りや頭のことなどを教えてくれる。丸本と床本をのぞき、字の大小を比較したり、床本の朱入れを眺める。、「差し金」の由来は私も始めて知った。中世の人形(くぐつ)使いのことや文楽劇場のマークの由来などなど。

主人公(一応)、紙屋治兵衛を演じる(語る)というのは、ずいぶんと難儀だなあと見ていて思った。だって、ぜんぜんいいところがないから。仇役の太兵衛(伊丹からお金がどんどん流れてくるのは、実家が酒造をしているのだろうか)以外、みんないい人で舅以外はみんな治兵衛を何とかしようと善意で思っているのであるから(舅だって、治兵衛のためだという改作もあるぐらいで。なお、改作も今年2月に東京で上演していたらしい)。

これは、一口で言ってしまえば、1720年当時の心中に到る経緯、とりわけ、親類との関係からくる複雑な心理ぐあい(だれも悪意はないのに追い詰めてしまうことになること)が、いまの人間ではなかなか推量しづらいからである。

つまり、なにが一番守るべき事なのか、命より大切なものって何だろうということで、そう書くと今でも答えられないのではあるけれど。
けっきょく、平成でも江戸でも同じように不可解は不可解のままであって、男(商人)一分の面目(意地)の到達点が自害であるという治兵衛の結末を頭で考えてもしかたがなく、ただ大坂の橋の名前を名調子の音楽とともに味わいその道行の舞台転換をおーっと見て名調子を聴くことだけが、舞台の正しい鑑賞姿勢なのだろうね。

他方、薄倖の女郎小春と治兵衛の女房おさんとの「女同士の義理」が、小春と治兵衛との心中を防止することであるとともに、それがそのまま、小春と治兵衛二人にとって(さらにおさんにとってすら?)心中しかないという結末になる不思議(一緒に死に顔を並べてはおさんに申し訳ないという小春のこだわりは無意味のようで実にいじらしい)は、意外と腑に落ちたりするのは、どうしてか。

故吉田玉男が治兵衛をどう描いて(動かせて)いたのか、見た人でしか比較できないのだろう。一大の芸がなくなることの寂しさ、でも、これからは、桐竹勘十郎はじめ後継者が追いつき越えていくしかないのだろう。吉田蓑助のおさんの存在感が群を抜いていて、おさんがこの悲劇の中心に見える舞台だったのは、芸の力ゆえか。北新地河庄の段のキリのおける竹本住大夫の語りの迫力、それはもちろん声量とはまるで関係が無い(大正13年うまれというから、わたしのお袋より2歳年上)。竹本千歳太夫、太棹の鶴澤清治、野澤錦糸とも心に残る。5列目だったので、人形使いの機微がよく見えたが、下手ということもあり、音楽を鑑賞することが文楽では一番の悦楽である私にとっては、場所的にはちょっと物足りなかった。
by kogure613 | 2006-11-22 23:17 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

こぐれのぶお・小暮宣雄 写真は春江おばあちゃんと・サボテンの花嬉しく 


by kogurenob