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「障害者が身体表現を舞台芸術として行うこと」とは

6/15(金)
とてもいいめざめ。
昨日アルコールを抜いたからかな。
雨も上っている。
高校の授業も、なんとか、個人発表からグループ研究へと水路づけられた模様。
京都銀行で、800円セットを30人分作る。
家で、昨日の92枚の採点。3時間で終了。キラリと光る答案をチェック。
問題の意味が読めない人、選択方法が分からない人。

ある緊急のアーツマネージャー募集案件のメールをうった後に、アートコンプレックス1928へ。
福原さんに出席カードとか、領収書のことをお願いする。自分探しの旅関係は16名ほど。あと、2回生なども数名。

行き帰りに劇団態変の『機関誌・イマージュ』2007年夏号〔関西障害者定期刊行物協会、06-6320-0344、500円、全92ページ〕を読んでいて、いつも感銘を受けもう少し生きようと励まされる雑誌なのだが、いつも以上に読み応えあり。

障碍者と芸術の関係のわたしにとっての原点であるとともに、いまのところ、そのありようの到達点の一つとして、ここ、劇団態変があると思っているいつも鑑賞させていただいている。そんな態変の主宰者、金満里さんや黒子スタッフなどがマレーシアで狼煙をあげた革命とすら形容された3年間の活動は、日本の演劇界やアーツマネジメント状況における生ぬるさを逆に浮き彫りにしているようにも思える。

庇護され隠され何もいえない障碍者から、自立へとむかう障碍者へ。そこから(同時並行的に)障碍者としての役者へ、そして単なる役者から、「プロの役者」になっていく過程を、マレーシアの障碍者=役者に見る。そこにあった一節、プロについての金満里さんの言葉を反芻する。
私の身体芸術での役者としてのプロ意識とは、観客からどのような視点を浴びても、自らの表現を貫き通す意志力である。同情でしかない見方や哀れみの視線を感じたとしても怯んではならない。それを成し遂げてもらわないと、障害者が身体表現を舞台芸術として行うことにはならない。P53

by kogure613 | 2007-06-15 17:22 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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