人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ケストナー、池田香代子訳『点子ちゃんとアントン』

8/18(土)
ことしは、冷房なしで行けそうだ。朝起きて喉が痛いということがそのためにない。
でも、さいきん、家の中では(夜になっても35度とかになっていて、すごいが風が通るので何とか)、ほとんど、ぼーとしていて、いいのか悪いのか分からないが。
去年までは、芳江はクーラーなしでやっていたが、私が帰るとつけてもらっていた。それにしても、すごい夏にノー・クーラーにしてしまったぜ。

今週も、ベトナムからの笑い声や少年王者館など、いつもなら、絶対に行っているお芝居があったのになあ。さいきん、こんなのばかり。

観光と祭りについての授業づくりをちょびっと。ほんとにちょびっと。葵祭は、神様に会いに行くことが祭りになっているんだなあ。
そのほか神様と一緒に篭り食事をする、神様をさとやまちに連れ出す、神様に面白いものを見せる(風流)・・・こういう形の祭りの分類はありかな。

ケストナー、池田香代子訳『点子ちゃんとアントン』岩波少年文庫060、2000年。アントンはエーミールに似ていて、それでもケストナーはこういう子どもがいっぱい必要だから、あえてアントンを登場させたのだという。

そうそう、小さな文字で段落の最後に「立ち止まって考えたこと」というコーナーがあって、この部分が昔お説教ぽいなあと思ったのだろうが、いま読むと、これを小学校の道徳の時間(いまもあるのかな?)に使うといいなあと思ったりする。

たとえば、
だれかがだれかにたいして心が広すぎる? そんなことがあるだろうか? あるんだ。ぼくの生まれ故郷には、『ばかやさしい』ということばがある。人は、友情や好意をよせるあまり、ばかになることがある。そして、それはちがっているのだ。子どもたちは、心が広すぎる人には、すぐにぴんとくる。子どもたちは、こんなことをやったらおこられると、自分たちでさえ思うことを、してしまうことがある。なのにおこられないと、子どもたちは、へんだなあ、と思う。そして、そんなことが何度もあると、子どもたちはだんだんと、その人への尊敬を失っていくのだ(「尊敬について」よりp167)。
ただし、そのなかには、「その12 ろくでなしについて」というような、これは使えないなあという「ろくでなし」についての絶望的なコメントもある。
人は、子どものころにもう、おとなになったときの性質をそなえているものだ。筒がのびる望遠鏡のように。子どもはおとなになるだけで、変わりはしない。その人の中に初めからそなわっていないものは、引き出しようがないのだ。逆立ちしたって・・・・。p146

by kogure613 | 2007-08-18 09:54 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

こぐれのぶお・小暮宣雄 写真は春江おばあちゃんと・サボテンの花嬉しく 


by kogurenob
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31