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伊藤愛子×佐久間新×ウォン・ジグスー@京都文化博物館別館

10/26(金)
高校の授業で『河』を見るのは、来週にして、その前に、京都の寺院、そこで行われるお祭などの映像を解説しながら見せた。

そのあとは、楽しみにしていた佐久間新さんと伊藤愛子さんの映像と実際のパフォーマンスに出会いに行く。まず、時間調整にラーメン屋でねばって、来年の手帳へいまの手帳に書き込んでいる予定を転写する。9月ぐらいに来年の手帳を買うと、後期の授業とかが全部見渡せるのに、どうしても、手帳を買う時期って年末近くになってしまうんだなあ。そうか、この新しい手帳に手帳を買うことと9月あたりに書いておこう。

わたしにとってもっとも大切なこと。それは、アーツをフローな状態で鑑賞できるということである。そのためには、まず、基本は一人。時間に追われないよう、十分な余裕。できれば、荷物は軽く、仕事のあれこれを頭から抜け去らせる(まあほとんどできないが)。知り合いにはかるく会釈して深くはかかわらない。心が動くまで待つ。こころで対話する。夜寝て、あさ、そのアーツがどう発酵したかを見ながら、日記にぽつりぽつりと記し出す・・・

それがアーツ鑑賞のイデアルティプス。特に、鑑賞が流れになってまちを線でゆっくりつながって、偶然の発見も伴いながら綴られていく、というのがまちあるきと連動した理想的な状態なのだが、今日はそれが(久しぶりに)出来た。

まず、うずらギャラリーで古い洋間にザシキワラシのような伊藤愛子の影を見る。ザシキワラシと語らっているのは、佐久間さんだけど、なんだか、この富田歯科医院の先代のおじいさんって感じ。

そのつぎに隣の同時代ギャラリー。ここは、1928年築だから、うずらよりも少し古い。その奥、支店長室だったのだろうか、よく分からないところで二人の映像。ちょっと、切れ切れで煩い編集ではあったけれど。また、ここで会いますねと青山先生。金曜日の授業がまち歩きなのだろうな。

堺町画廊の町家を楽しんで(この通りは洋物食堂とか観光的施設多し)、向かいのくらふとギャラリー集に入ったら、このまえ見せていただいた社会就労センターこだまでみんなが織ったショールなどが展示販売されていた。唐崎やよい作業所のものもあって、クッキーをとりあえずゲット。

そこから、新風館とか、道超えた銀行(三井住友だったか)の建物とか集合ビルになっているところ(文椿ビルヂング)、コリアン喫茶店になっているところとか、近代建築の外観を眺めてぶらぶら。最近思うのだが、ショップは論外だが、売ったり食べたり演奏したり展示したり、そういうことを近代建築でするとか、ほんとうはどうでもよくて、それより、その何の役にも立たないのに作ってしまった意匠をただぼーと眺めるのが一番よく、でも、それでは、つぶされるので、活用するしかないのだけれど。

烏丸通りに出るところに壁で壁画が二枚あるのだが、これは、だれも見ない。5分ほど、だれか振り向くかと見ていたが、トラックが通るし、ここは、展示場所としてはあんまりよくないみたいだ。
そして、京都文化博物館別館へ。そとで、またクッキーを買う。別館内の展示もよく分からないもの。
佐久間さんと伊藤さん、伊藤さんのお母さんが休んでいるので、あいさつ。デッキがぬれているので、別館にいすを並べだしている(結局、少しデッキでも踊ったが)。

そして、ピアノの前で、三号室のとびらを開けてもだれもいない、さびいしいとびら・・・といながら、ピアノ弾くウォン・ジグスーのゲストに導かれながら、伊藤愛子×佐久間新のパフォーマンスを、17時すぎから48分ぐらいまで、楽しむ。少しして林さんも来た。ウォンが2階で騒ぐのに、伊藤が反応しないところとか、打ち合わせがあっても、はずすところが味。

鬼ごっこ。中庭ウッドデッキでの軽快な手拍子、少し、お母さんの近くで休む伊藤の感じとか、ステージでない分、リラックスしているので、こちらも、のんびり眺めていられる。ワークショップの公開のような部分もあるし、でも、男二人に挟まれている伊藤愛子のどうしようかなという戸惑いとか、反応しない部分のおかしさとか、まねっこしていたと思うと、それを抜け出して、ぎゃくに佐久間をリードする反転のところとか、全体を構成してみて行くのではなく、自分で編集してみる感じだった。
by kogure613 | 2007-10-26 19:41 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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