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6年間通っていた門、校長室の横のトイレ・・・

http://gipsypapa.exblog.jp/10001011/より引用:
1928(昭和3)年に開校し、進学校として全国的に有名な灘中・灘高。旧制灘中学校時代の校舎で今も事務棟として使用されている本館です。

 設計は関西を中心に奈良国立博物館、難波橋、莫大小会館、生駒時計店などの多くの建築物の設計を手がけ、関西建築界の重鎮として活躍した宗兵蔵(そう ひょうぞう)の建築事務所。

 宗兵蔵といえば、難波橋や生駒時計店の印象が強く、装飾の多い濃密なものを思い起こしてしまいますが、この建物はモダンですっきり仕上げた軽快な外観です。とはいえ瀟洒な白い校舎に上部を3角形にとがらせた尖頭アーチ形の窓枠を並べ、玄関ポーチ周りには細部に装飾を凝らした洋風建築。登録有形文化財の鉄筋コンクリート造り2階建て。

灘中学校・高等学校本館
旧制灘中学校校舎 1928(昭和3)年
登録有形文化財
設計 : 宗兵蔵(宗建築事務所)
施工 : 不明
神戸市東灘区魚崎北町8-5-1
撮影 : 2008.2.10

6年間通って、それなりに、楽しく、自分の原点のひとつの場所(ここにもありました)なんですが、
近代建築として、こうして写真で見るとへえ~という気分になります。
震災で遺体の収容所になったのが、この本舘の2階の講堂だったということを教頭に聞いたことがあります。OBの医者がかけつけた、とか。

校長室の横のトイレを思い出すのは、授業がつまらないとき、悪い友達がいて、よく、遠くのトイレまでツレションしにいったのですが、この校長室のトイレが一番面白く、よく使っていたのですね。でも、あるとき・・・
いつものように、午前中ツレションしたんですが、昼の集会があって、理事長(菊正宗か白鶴かの社長)のえーえーといういつもの話のあと、校長先生(勝山さん)が、いうんです。今日、トイレに入っていたら、生徒が、校長って何をしているんや、暇なんだろうなあ・・・と。こういう枕で校長だって忙しいというのです・・・・ぶっ、おお、あのとき、勝山校長はトイレにいたのか・・そういえば・・おかしくてもう笑い転げた記憶があります・・・おおらかな学校だったなあ・・・

この建物の右にあったプレハブ?の音楽室(2階、1階は写真部の暗室など)で、
ウェーベルンを文化祭に演奏したこととか、変なギリシャ悲劇に出たこと(確か衣装係もしていたな)、そうそう、このレトロな事務棟の2階が講堂だったか?これは記憶が怪しい~などをふと思い出します。
図書室の司書さんが、変な人で、ここに結界があるとか、超自然的振る舞いがあったり(単にノイローゼだったのかも知れませんが、結構彼がいるために図書室がホラー化していた)、その関係かしらないけれど、やたら推理小説の全集がそろっていたり、サルトル全集とかナルニア国ものがたりとか、高校生向けでないような、脈絡のない選書で、それが放課後の楽しみだったり・・・
by kogure613 | 2008-10-25 10:54 | 少年過去 | Trackback | Comments(0)

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